普通の役人なら

昨日のウェブログを書くとき、久しぶりに後藤田正晴の回想録を検索してみたら、御厨貴「情と理 -カミソリ後藤田回顧録- 上」(講談社+α文庫 ISBN:406281028X)が文庫になっているのを発見した。
御厨貴は、公人から聞き取りを行って記録として保存、公開するオーラル・ヒストリーの取り組みを進めている政治学者である。彼のオーラル・ヒストリーの成果は、順次出版されているけれども、いずれもきわめて興味深い。「情と理」は、オーラル・ヒストリー代表作のひとつだが、その他にも、伊藤隆渡辺恒雄回顧録」 (中央公論新社 ISBN:412002976X)、御厨貴「聞き書 宮沢喜一回顧録」(岩波書店 ISBN:4000022091)もいい。
「情と理」は、単行本を図書館で借りてきて読み、手元にはなかったから昨日は記憶で書いたけれど、文庫本になったものをさっそく買ってきた。文庫版ではやや軽めの装丁になっているけれども、内容はかなり手応えがある。
後藤田正晴が、岸信介について語っている部分があったので、少々長いけれど引用する。

鳩山一郎さんの政権から、石橋湛山さんを経て岸信介さんに替わりますが、岸内閣ができたときに、何か感慨はございましたか。岸さんは、日米関係を見てゆく上のキーパーソンで、戦犯容疑がありながら、政界に復帰するとあっという間に総理になられたわけですよね。
後藤田 僕は個人的には、戦犯容疑で囚われておった人が日本の内閣の首班になるというのは一体どうしたことかという率直な疑問を持ちました。文字通り統制経済の総本山の方ですよね。そして中央集計主義的な行政のあり方、政治の主張、これを色濃く持っている方ですから。私はたまさか、あの人の幹事長時代にお会いしたことがありまして、大変素晴らしい能力の方だという印象を持つとともに、率直なところ、いま言ったような気持ちをもっていました。これは、戦争に対する反省がないからです。それが、いまにいたるまでいろいろな面で尾を引いている。
 しかし、これは結局日本の国柄でして、敗戦当時の国際的な責任の負い方なり、国内的な責任追及が充分にできなかったということは、当時おかれていた日本の状況、そして日本人全体の気持ちから言いますと、いま責めるわけにはいかないんですよ。終戦のポツダム宣言を受諾するかしないかというときの議論にしろ、マッカーサー司令部と日本の政治のあり方をめぐっての話し合いにしろ、同時に戦犯裁判の時の占領軍と日本政府との関係等を見ましても、いちばん中心は何だったかというと、国体の護持ということですよ。それ以外の何ものでもない。
 国体の護持というのはもう少しわかりやすく言うと、天皇の戦争責任の問題になってくるわけです。さてそうなってくると、当時の状況から見て、ここで天皇制の問題を敗戦責任ということで追求するということは、国内的にももちろん不可能ですし、外国に対してもそれだけは避けたい、ということにならざるを得ませんね。ほんとうは補佐する人の責任がいちばん重いんですよ。旧帝国憲法は文字どおり欽定憲法であるし、天皇制中心の憲法であって、天皇大権がすべてですからね。統治権は天皇が総攬するんですから。しかしそれは形式であって、やはり明治以来の日本の皇室というものは、イギリス王室を基本にして「君臨すれども統治せず」ということが基本になっていた。ことに昭和天皇になってからまさにその通りです。
 だから昭和天皇は、陸海軍の統帥については参謀総長軍令部総長の上奏以外は何も聞きません。上奏があればその通りでしょう。そして行政はどうかといえば、内閣の国務大臣の輔弼がなければ天皇はサインなさらんのですから、内閣から上がってくるものについては条件は一切おつけにならない。ですから、全責任は、陸海軍について言えば参謀総長軍令部総長、行政全体について言えば総理大臣を始めとする各国務大臣が責任を負うべき事柄です。陛下に責任を持って行くというのは、形はまさにそうかも知れませんが、実体を伴っていないわけですからね。
……
……それで国内的にはほんとうの意味での責任者の追及が行われてなくて今日に至っているものだから、これは外国の目から見たらおかしいではないかということになるんじゃないですかね。何もかも国体の護持ということですから。
……
 いちばんずるく立ち回っているのはドイツなんですよ。ワイツゼッカーなんです。1939年から十年余りナチスが政権を握っていたときのドイツはドイツじゃないのかというんだ。ドイツそのものではないか、というんだ。ところがあれはナチスの責任であって、俺たちドイツじゃないよと、ワイツゼッカーはいうわけでしょう。そのかわり外人特有のしつこさで、今でも戦犯を捕まえるな。それで全部ナチスにかぶせて涼しい顔をしている。日本はそれができないわけだよ。だから、日本は謝っている。ドイツは謝りゃせんがな。やっぱり国柄の問題で、責任の追及ができなかったということだと思うね。
 ですから、岸さんが総理になったときは、これはいかがなものか、と思いました。
―後藤田さん以外でも、当時官職におられた方は多少なりともそういう気持ちはあったのでしょうか。
後藤田 話をしたことはあまりないけれど、話をすればみんなそうだなと言うだろうね、普通の役人なら。戦争責任を考えたらね。あの人はしかし無罪なんだよな。そこなんだ、ひとつは。あの人は無罪放免になったんだよ。裁判いかからなかったもんだからね。容疑の段階だから。岸さんの立場になれば言い分はあるだろうな。

私自身、東京裁判には割り切れないものを感じている。しかし、日本政府は、東京裁判を受け入れている。また、仮に東京裁判を否定したとしても、戦争の責任が消滅するわけではなく、日本人が自らの手で戦争について決着をつけていないという事実は残る。
いまとなってはどうにもならないけれども、講和条約が締結され、日本の独立が回復した時点で、昭和天皇が退位していればと思う。天皇自身に、実体的な意味での権限がなかったから、犯罪者として裁くべきであったとは思わない。しかし、自ら退位することで、象徴的な意味での責任をとるべきではなかったか。もし、天皇が退位していれば、あの戦争で重い責任を負ったいた人々は、復活することはできなかっただろうし、また、日本人自らの戦争責任の取り方を示すことができたのではないかと思う。
たしかに、後藤田正晴の「これは、戦争に対する反省がないからです。それが、いまにいたるまでいろいろな面で尾を引いている。」という言葉には納得する。しかし、日本人が納得できる形で戦争の責任をとる機会は永遠に失われてしまったようもに思う。
また、後藤田は「岸さんの立場になれば言い分はあるだろうな。」とも語っている。たしかに、岸信介自身はどのような思いを抱いていたのだろうか、関心がそそられる。