厳罰に処すべき

後藤田正晴「情と理 カミソリ後藤田回顧録上」(講談社+α文庫 ISBN:406281028X)を読んでいたら、後藤田正晴のこんな発言があった。

……自民党の中には、厳罰に処すべしという意見が強い。それで、呼ばれる前に田中さんに言った。総理、罰則はあまり強いのはいけませんよ、と。なぜた、と言うから、罰則が強いと罰則の構成要件をどうして厳しく書かざるを得ません、そうなると、取締官庁は動きにくくなる、だから、逮捕さえできるなら罰則はいちばん軽いのが言い、と言った。
……
……罰則を重くしろなんて盛んに若い代議士が言っていた。だから、あんた罰則を運用したことがありますか、と聞いたんです。そんなに簡単に人は縛れるもんじゃないんですよ、だからこういうときには、容易に取締機関が権限の発動ができて、あとは社会的制裁を加える形でやるのが賢明な方法ですよ……

罰則運用のプロ中のプロといえる後藤田正晴が、取締のためには罰則を強化すればいいものではない、と言っているのが興味深い。
最近、飲酒運転による事故が注目を集めており、警察庁ではひき逃げの厳罰化を検討しているという。しかし、交通事故による被害の防止、軽減という意味では、はたして厳罰化がどれほど効果があるのか、よくよく考えてみる必要があると思う。
交通事故による被害の防止、軽減という意味では、まずは、交通事故の数を減らすこと、次に、事故が発生したあと適切な対処をすることが必要だ。
交通事故の要因は多様だから、交通事故削減にはさまざまな対策が考えられるが、飲酒運転も交通事故の大きな原因(死亡事故の原因の約11%を占める)だから、飲酒運転を減らすことは、交通事故を減らす効果がある。飲酒運転を減少させることを目的として、平成14年に、飲酒運転を厳罰化した改正道路交通法が施行された。警察庁の統計を見ると、飲酒運転による死亡事故数は、平成14年から平成15年にかけて大幅に減少している(534人→375人)から、飲酒運転の厳罰化による効果があったと考えてよいだろう(http://www.npa.go.jp/toukei/koutuu33/20060727.pdf p22)。
平成13年には、飲酒運転による事故を引き起こした者に対する厳罰化として、危険運転致死傷罪が施行された。その結果、危険運転致死傷罪の適用を恐れた「ひき逃げ」が増加しているという指摘がある。たしかに、警察庁「運転免許統計」(http://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/menkyo7/h16nen_main.pdf p29)の「ひき逃げの死亡・負傷事故による仮免件数」は、平成14年から増加傾向にある。これだけでは因果関係が明確ではないが、指摘が正しい可能性は十分ある。
罰則によってある行動を防止するためには、その行動への嗜好、その行動を禁止する罰則のレベル、違反した場合の取締の確率の三つの変数が最適のバランスとなる点を探すことが重要だと思う。やみくもに罰則や取締を強化するだけでは、問題のある行動を減らすことはできないだろう。
平成14年の道路交通法の改正により、罰則を強化することで飲酒運転の減少に成功した。おそらく、それ以前は、この三つのバランスから考えて、飲酒運転を最小化するには罰則のレベルが低すぎた、ということだろう。しかし、今後、飲酒運転を減少させるためには、さらに罰則を強化すれば成功するとは限らない。取締を強化するために、交通警察の予算を拡充した方が有効かも知れないし、また、飲酒運転による事故の確率が高い地域、時間などに取締を集中させることも考えられる。
一方、危険運転致死死傷罪は、飲酒運転による事故の防止という観点からは、必ずしも失敗とは断定できないが、ひき逃げ増加という副作用が生じているように見える。この状況を見る限りにおいては、ひき逃げを厳罰化したからといって、単純にひき逃げが減少するとは限らないように思える。むしろ、飲酒運転それ自体を減少させる対策に注力して飲酒運転はより減少させ、危険運転致死死傷罪を廃止することでひき逃げの誘惑を緩和させた方が望ましい結果が得られるかも知れない。
もちろん、飲酒運転によって事故を起こしたり、ひき逃げをしたりという言語道断の人間に対しては、倫理的に厳罰に処すること自体が目的であれば、これらの罪を厳ししくすべきだ。しかし、私は、個人的な責任追及よりは、交通事故による被害を減らすということの方が重要と考えている。そのためには、単純な厳罰化が有効なのか、データを検討しながら、冷静に検討しなければならないのは明らかだ。