退院

腰痛の顛末を書いた自分の文章を読み返すと、つくづく、自分は自分好きなのだなと思う。腰痛になったことは、決してうれしいことではないけれど、自分に振りかかってきた出来事や自分の身体の変化を観察するのがおもしろくてならない。今回の腰痛が、ほんとうに深刻というわけではないから、そんな気楽なことを書いていられるのかも知れないけれど、やっぱり、自己観察好きは、自己愛ゆえだと思う。
さて、前置きはこれぐらいにして、本題に入ろう。
病院の消灯は9時である。こんな時間に眠ることができるかなと思っていたけれど、前の晩はほとんど眠れなかったし、鎮痛剤の効き目もあったのか、気が付いたら眠っていた。
翌朝、起床時間の放送で目が覚めた。6時だった。安静にしていた効果か、痛みはずいぶん治まってきていた。
朝食は、ベットに座って食べることができた。担当の看護士さんが、うれしそうに、座って食べれるようになっんですね、といってくれた。ちょっとしたことだったけれど、ずいぶんうれしかった。その看護士さんは、クールな感じで、とっつきにくかったけれど、急に親しみを感じた。
トイレに行くために、ナースコールを押して看護士を呼んだとき、そのときは別の人が来てくれたのだけれども、ああ、まだ歩いて行けないんですねえ、といわれてがっかりした。その看護士さんには、まったく悪気はなかったと思うけれど、こちらが弱っていたせいで、ささいな一言が気になったのだろう。
以前、テレビで妻が鬱病になった家族のドキュメンタリー番組を見た。そのなかで、夫は、妻がどんなに小さいことであっても何かできたら褒めるようにしていると言っていた。そのときは、そんなものかと軽く聞き流していたけれど、我が身になると、言葉の重みが感じられる。それまで、バリアフリーユニバーサルデザインとか、介護のことも、なんとなく、人ごとのようにそれも大切なことだなと抽象的に思っていたけれど、急にいろいろなことが気になるようになってきた。
入院初日は、自分のことで手一杯だったけれど、二日目になると、まわりのことも気が回るようになった。特に、向かい側に入院していた交通事故にあったらしい外国人の患者と看護士とのやりとりがおもしろかった。その外国人の患者は、日本語のヒアリングは少しはできるようだけれども、スピーキングは単語を並べるのが精一杯だった。しかし、看護士は、日本語だけを話して、片言の英語も話さない。それでも、けっこう話が通じている。その上、外国人の患者は、その片言の日本語で、ジョークを言おうとする。彼は、エコー、ベイビー、エコー、ベイビーと繰り返して言っている。どうやら、エコーの検査を受けたらしいのだが、妊婦もエコーの検査を受けることから、自分のおなかのなかに赤ちゃんが写ったんだよ、というジョークを言いたいらしい。看護士さんにも、そのことは通じて、あははは、と笑っていた。アメリカの、シビアな状況であればあるほどジョークを言わなければならない、という文化に接すると、不思議な気分になるけれど、徹底したものだなと、あきれつつ感心させられる。
昼過ぎ、両親が見舞いにくる。そのとき、もし、独身の兄がおなじような状況になったどうなるのだろうか、という話になった。母親は、老いた母が息子の入院の世話をするような羽目になるのはぜったいにいや、という。今回、入院するとき、つれあいにはずいぶん助けてもらい、ほんとうにありがたいと思った。もし、ひとり暮らしだったらどうしただろうか。救急車を呼ぶしかなかっただろう。しかし、腰が痛くて玄関までたどり着けないとすると、鍵を開けられない。管理人が常駐しているマンションではない。ベランダの窓に回って、窓を破って中に入ってもらうことになるんだろうか。元気であればいいけれど、弱ってくるとひとり暮らしはつらいかも知れない。年をとったら、介護つきのマンションに入りたいな、などと、ずいぶん先のことまで頭の中でシミュレーションをしていた。
午後、つれあいが来る。もともと翌日の金曜日の午前中に退院する予定だったけれど、腰の痛みも治まりつつあり、家の中ぐらいであれば、なんとか移動できそうになっていたし、病院にいても安静にして鎮痛剤を飲むだけだから、退院してしまおうとういことに相談がまとまった。看護士さんにお願いして、手続きと家で飲む薬を処方してもらい、あわただしく荷物をまとめて、退院をしてしまった。車いすに乗って、病院のタクシー乗り場まで行き、前日と同じように、後部座席に横になる。行きに比べると、車の揺れがあまり腰に響かなくなっていた。運転手の人も、腰痛持ちらしく、腰痛対策の話で盛り上がった。
タクシーがマンションに着いた。今度は、ゆっくりだけれども、自分で歩いて、部屋まで帰ることができた。病院だといろいろと世話を見てもらえるのはいいけれど、やはり、家は気兼ねがなくてほっとする。久しぶりにシャワーを浴びて汗くささを流し、出前の寿司を取って食べた。