教育問題

身近に子供がいないし、自分が学校教育を受けていたのもずいぶん昔のことで、教育に携わっているわけでもないから、いまどきの教育の実態はよくわからない。また、自分が経験した教育も、ひとつの事例であって、一般化できないようにも思う。しかし、最近、教育問題について、さまざまな報道を目にするので、身近ではない問題であっても、いやおうなしに関心がわく。今日は、教育のことをよく知らない自分が、断片的な報道を見ながら思った素朴な感想を書こうと思う。
教育問題に関する報道を見ていると、今の教育は崩壊しており、最悪の状況にあるかのような印象を受ける。冷静に考えれば、教育には今も昔もそれぞれの時代にいろいろな問題があって、それらのなかのある問題は解決でき、別の問題は解決できない、というものではないか。私の受けた教育も、かんぺきなものではなく、いろいろ問題があったと思うが、役立っているところもあり、そんな教育環境のなかでそれなりの時間を過ごし、結果としての現在の自分は不完全なところだけれども、なんとか社会の中でやっている。今も昔も教育とはそんなものなのではないだろうか。限られた人員、施設、予算のなかでやっている以上、かんぺきな教育はありえないだろう。しかし、おおむね、社会のなかで生きていけるような人が育っていると思う。教育にあまりに高い理想を求めたり、その反動で今の教育が崩壊していると批判するのも、どちらも間違っているように思う。
自分の小、中、高校の時期を思い出してみると、軽くいじめられていたこともあったように思う。自分は、一人でいることをあまり苦にしなかったこともあって、いじめに対してあまり反応をしなかったせいか、いじめっ子たちもあまりいじめ甲斐なかったのか、それほどひどくなることはなかったように思う。しかし、本人としては、その当時はけっこうせっぱつまった気持ちになっていた覚えがある。親や先生に相談することはなかった。恐らく、両親は気づいていたと思うけれど、先生は気づいていただろうか。特に、先生がいじめについてなにかをしていた、という記憶はない。
教育問題についてこれだけ話題になっているわりには、教育の予算を拡充しようという提案を目にしないのはどうしたことだろうか。学力の向上も、学級崩壊も、いじめ対策も、きめ細かく対応する必要があるだろう。それには、こども一人あたりの学校の先生、カウンセラーの数を増やすにこしたことはない。また、先生の質を高めるには、先生の待遇を良くすることも必要だ。そのためには、予算が必要だ。精神論や教育基本法を改正したり、競争原理を導入したり、というだけで、予算をかけずに教育を改善しようというのは虫が良すぎるように思う。