結婚という制度について(補足)

前回のウェブログ同性婚、支持はしたいけれど、すっきりしない」(id:yagian:20070629:1183075491)の続編を書きたいが、どうも考えがまとまらない。まさに、すっきりしない。直観的な結論はある(「同性婚を認めさせるというような既存の結婚制度なんかに取り込まれる運動にエネルギーを使うぐらいなら、勝手にやったほうがいいじゃん」)のだが、どうも論理的にこの結論まで演繹できないので困っている(って、困っているのは私自身だけだけど)。
ただ、knoriさんからのコメントに回答すると約束したので、その部分については書こうと思う。

お久しぶりです。「おや?」とおもったので、一言だけ。
同性婚や異性婚はカップル(一夫一婦)なわけで、一夫多妻、多夫一妻とは対立するとおもうのですが。

文化人類学的な見地から、事実としてどのような結婚制度があったか、というところから話を始めたい。
同性愛というものは広範に見られるけれど、同性婚という制度は、現代のヨーロッパなどを除けば観察されていない。したがって、結婚制度は、基本的に異性婚である。
また、結婚の大多数は、どの社会においても一夫一妻であるけれど、一夫多妻も認められている社会も広範に観察される。つまり、一夫多妻が認められている社会では、一夫一妻の夫婦と一夫多妻の夫婦が混在しており、通常、一夫一妻の方が圧倒的に多い。
多夫一妻は、非常に限られた存在で、男兄弟が妻を共有するという形を取る。また、このような社会でも、一夫一妻の夫婦の方が圧倒的に多い。日本でも、多夫一妻ではないけれど、東北地方などでは兄の寡婦と弟が結婚する例があり、結婚した女をそのイエの所有物のように見なすという意味では、多夫一妻に近いと言えなくもない。
一夫多妻や多夫一妻はが認められている社会でも、かならず一夫一妻(カップル)と混在しており、少なくともその社会では一夫一妻と一夫多妻、多夫一妻が対立しているわけではないように見える。現代西欧社会の結婚制度、結婚観を基準とせず、一般的に結婚制度を考えた場合、一夫一妻を特別なものと考える理由はないと思う。
また、男女の権利という観点からいえば、一夫一妻、一夫多妻、多夫一妻のどの形態がもっとも平等か、それを比較することは難しい。多夫一妻では、女性は家族、イエの所有物扱いであるから、女性の権利が尊重されていないのは確かだろう。一方、一夫多妻の場合、社会によって異なるだろうけれども、複数の妻の間に差別的な取扱いをしてはならないという規範がある場合が多く、一夫一妻に比較しても女性の権利が尊重されているといえよう。また、第一夫人が、家事の労働力が増やすということから、積極的に第二夫人を娶ることを夫に求めることもあるという。
これで、答えになったでしょうか?