服従の心理

マインドマップを使うと充実したエントリーになるように思う。しかし、マインドマップを描いた後は、集中力を使うせいか疲れてしまう。日々のエントリーを書くのに疲れてしまうようでは、ウェブログを書くのが続かなくなってしまいそうだ。マインドマップはここぞというテーマに限って、ふだんはこれまでの書き方に戻そうと思う。
さて、日本の近代化というテーマをしばらく追いかけているけれど、その一環で井上勲「王政復古」を読んだ。幕末の政治過程が詳細に描かれており、ずいぶん勉強になった。そのなかで、井上勲が服従の心理について考察している一節が印象に残った。少々長くなるけれども引用したいと思う。

……外から強いられてはじまった服従は、しばしば、自己の判断にはじまった服従よりも、その程度において強く、また強くなりうる。何がしかの判断にもとづいて、服従がはじまったとする。ここでは、その契機をなした判断の根拠の強弱は、そのまま、服従の程度に比例する。その根拠が消滅した場合、服従の関係が解除される可能性もなくはない。
 これに対して、強いられた理由なき服従は、次のような経過をたどって内面化するからである。戦慄に発生する畏怖に強いられて、服従がはじまった。当面は、理由なく服従すること自体が行為の格率である。だが、強いられた服従をそのまま放置しておくことはできない。強いられたものには、服従の行為を理由づけて、これを正当化しようとする心理がはたらく。外から強いられてはじまった服従は、内から正当化されてつうけていく。……

自ら判断した合理的行動よりも、他から強いられた非合理的行動の方が、自己正当化によって強力なものとなる。誘拐の被害者が犯人に共感するストックホルム症候群は、まさにこのプロセスによるものだとおもう。誘拐という劇的な強制だけではなく、このような陰惨な強制と自己正当化のプロセスは、身近なところにも発見できると思う。

王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)

王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)