読書メモ:佐藤郁哉「フィールドワーク」

今はリハビリ勤務中ということで、仕事もずいぶん余裕があり、仕事に関係する本をじっくりと読む時間がある。今日は、佐藤郁哉「フィールドワーク」を読んだ。そのなかから、特に印象に残った部分を二か所引用しようと思う。

流行の理論を追いかけるよりは、じっくりと古典に取り組むことの方が価値があるとうことです。もちろん……古典の原典そのものにあたるべきだ、ということです。……いま流行し脚光を浴びている理論の中では、もったいぶった言葉や言い回しで表現されていることが、驚くほど平易な言葉で分かりやすく述べられていることもあります。

深く同意する。特に、専門の学者であれば流行の理論を追いかける必要もあるだろうけれど(学会で論文が審査を通るためには新規性が求められるだろうから)、そうではない市井の人であれば、古典的な理論で十分実用に足る。佐藤郁哉も書いているように、古典を読むことで、流行している理論の浅薄さが理解できることも多い。古典を理解するためには、結局、原典をあたることがいちばんの近道でもある。

建物や地形、植物相……なども大切な情報です。これらの対象は誰の目にも明らかであり、いわば公共の情報なのですが、その意味については、必ずしも誰にでも明らかになっているというわけではありません。別に現地の人びとがそれをよそ者に隠しているというわけではなく、現地の人びと自身、それに対して特別に意識して生活はしていないのです。あまりにも当たり前の光景であり、あまりに頻繁にまたは習慣的に使われている物であるため、現地の人びとはあらためてそれについて見直す必要がないのです。

以前、北海道美瑛町で役場の人にインタビューをしたことがある。美瑛町は、隣町の富良野とならんで、北海道らしい波打つ畑の景観で有名な地域である。その人の話によると、前田真三という写真家が畑の写真を撮るようになる前は、地元の人は畑の景観を美しいと思ったことはない、というより、それが景観、風景であることを意識したことがなかったという。そして、その当時、地元のアマチュアカメラマンは、地域の山である十勝岳の山岳写真を撮っていたとのことだった。
あまりにもあたりまえのものは見落とされてしまう。それを見出したのは、前田真三という写真家の眼であった。

フィールドワーク―書を持って街へ出よう (ワードマップ)

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