ひきこもり

寺田寅彦随筆集第一巻」のなかに「球根」という作品がある。胃潰瘍のために静養していた時期について書かれたものである。そのなかにこんな一節があった。

 彼の生活が次第次第に実世間と離れて行くのを自分でも感じていた。彼と世間を隔てている透明な隔壁が次第に厚くなるのを感じていた。そしてその壁の中にこもって、ただひとり落ち着いて書物の中の世界を見歩き、空想の殿堂を建ててはこわし、こわしてはまた建てている時にいちばん幸福を感じるようになって来た。この隔壁は自分で作ったものでもなければだれかが持って来たものでもなかった。そうしてひとりでにできたこの壁を打ち破るという事ができるとしても、その努力は今の健康が許さないと思っていた。そう思ってむしろ安心しているそばで、またこうしてはならないという不安の念が絶えず襲いかかって来た。利己的であると同時に気の弱い彼は、少なくも人目には大した事ではないと思われるらしい病気のために職務を怠っている事に対する人の非難を気にしていた。(p180)

私自身、病気で長期休暇を取っていたとき、同じような思いを抱いていた。
家にひきこもっていると、どんどん実社会から隔たって行くような気がした。実社会から隔たったひきこもりの世界の居心地がだんだん良くなってくる。ひきこもっているのが居心地よくなりすぎると、それも問題があると思いながらも、健康が許さないという自分への言い訳をして、ますますひきこもってしまう。しかし、仕事をしていないということに対する罪悪感は感じていて、そのことにはへんに敏感になってしまう。
客観的に見れば、一人で無益な堂々巡りをしている、ということになるのだろう。また、病気が治ってくれば、実社会との障壁は自然と解消してしまうものである。
と、過去の自分を客観的に眺めることができるようなってきたのは、それだけ、うつが治まってきたおかげだと考えたい。

寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)

寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)