少数民族の衣装

北京オリンピックの開会式で、少数民族の衣装を着た子供たちが、じつは、漢民族が中心だったということが批判されていた。
最初は、ひとつの演出であって、それほど目くじら立てるほどのことでもないのではないかと思った。しかし、つれあいと話しながら考えを変えた。
例えば、アメリカの民主党大会に、白人の子供がドーランで顔を黒く塗って黒人として登場したとしたら大問題になるに違いない。ネイティブ・アメリカンが偽装されても同じだろう。
なぜ問題になるのか。そのような偽装があったとすれば、民主党は黒人なりネイティブ・アメリカンなりを尊重していないことを意味するからだろう。侮辱しているといえるかもしれない。
同じように考えれば、演出とはいえ、実際の少数民族を使わなかった北京オリンピックの運営委員会は、少数民族をアクセサリーとして使い、実際には尊重していなかったということなのだろう。大きな問題は、運営委員会の人は、なぜ問題であるということを理解していない様子であることだ。
見た目より根の深い問題かもしれないと思う。