大琳派展

三連休は堆肥になって過ごしていたけれど、土曜日の午前中だけは、なんとかベッドから抜け出して、東京国立博物館へ大琳派展を見に行くことができた。絵もたくさん、人もたくさんで、おなかがいっぱいになった。
私は、江戸琳派酒井抱一を贔屓にしているけれど、宗達、光琳、抱一の順番で見ていくと、残念ながら、だんだんスケールが小さくなっていくのが歴然としている。特に、宗達の「風神雷神図」(http://tinyurl.com/5j6z7c)と、それを光琳(http://tinyurl.com/67ovyu)と抱一(http://tinyurl.com/5de5yt)が模写した絵が並べて展示されていたが、やはり、宗達の絵がいちばん迫力がある。
大きな杉の板の戸いっぱい描かれた京都養源院の「白象図」(http://tinyurl.com/ytuknl)、また、本阿弥光悦の「鶴下絵三十六歌仙歌巻」(http://www.rinpa2008.jp/)の下絵に描かれている一斉に飛び立つ鶴の姿には、圧倒される。
そして、「伊勢物語図色紙芥川」(http://www.rinpa2008.jp/)などの絵の背景に描かれた緑や青の色の塊。
おそらく、山や川の描写なのだろうけれど、ぼんやりと描かれていて、ほとんど描写を離れている。しかし、光琳が描く絵のような装飾的な模様とも違う。抽象画としかいいようがない。西洋絵画でいえば、マチスのようだ。宗達は、どうして抽象画のような背景を描くことができたのか、不思議に思う。
抱一の絵には、宗達のようなスケールの大きさや理解を超えた謎めいたところはない。宗達が得意としたような壮大な絵ではなく、抱一自身の身の丈にあった、どこにでも生えているような草花を写生した絵がいい。
「夏秋草図屏風」(http://tinyurl.com/6mhjzh)では、雨に打たれ、風に吹かれている草の葉は、あるものは表向きで、あるものは裏向きで、花を隠しながらたなびいている。
なんということもない瞬間を、細かいところまでよく行き届いた写生しているところが気に入っている。