植民地的な方法の限界

レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」に、レヴィ=ストロースが設立されて間もないサン・パブロ大学の教授として赴任したときの学生たちの印象について書いている一節がある。

 私たちの学生は、何でも知りたがっていた。だが、どの領域であろうと、最も新しい理論だけが彼らにとって学ぶに値しているように見えた。過去の一切の知的饗宴に無頓着でー第一、彼らは原著を読まなかったから又聞きでしか知らなかったのだがー、彼らは目新しい料理に対しては、いつも活き活きとした熱意を抱き続けていた。……思想の領域で最新型の独占権を得ようとして、いわゆる啓蒙誌や誇大に騒ぎ立てる雑誌、早わかりの類のあいだに、凄まじい競争が行われた。学問の厩舎の選り抜きの産物だった私の同僚や私自身、しばしば当惑した。熟した思想だけを尊重するように仕込まれて来た私たちは、過去については全く無知だが新しい情報はいつも私たちより数カ月先に手に入れる学生たちの襲撃の的になっているのに気がついた。(pp171-172)

かつて植民地だったブラジルの大学における学問の未成熟さを示す文章だが、日本でも同じようなことをいろいろな分野で目にする。
私自身は、仕事の関係で官僚と関わりを持つことが多かったのだが、まさに同じ状況だった。新しい予算を獲得するために、海外の目新しい流行の理論に飛びつき、原書を読まず、キャッチフレーズとして利用する。その理論に基づく政策の成果を確かめることなく担当者は異動してしまい、新しい担当者はまた目新しい理論に飛びつく。その繰り返しで、熟した思想に基づく一貫した政策が行われることはなかった。植民地的な行政だと思う。おそらく、日本のさまざまな分野で植民地的なことが行われているのだろう。
小宮山宏は、日本は高齢化と環境問題という世界が抱えるであろう課題にいちはやく直面している課題先進国であり、それを解決することによって課題解決先進国になろうと提唱している。しかし、植民地的な方法では、世界でいちはやく直面している課題を解決することは難しいだろう。
マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」を見て、人文系の世界では最新の議論も熟した骨太の思想を踏まえたものであるべきだと感じた。レヴィ=ストロースも、構造主義が流行となり、さらに、ポスト構造主義が流行し、というなかで、長年にわたって神話の分析をやり続けていた。最近は、骨太な思考に心を惹かれる。

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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