悲しきナンビクワラ族

昨日の日記「人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何か」(id:yagian:20100828:1282998786)の続きです。まず、こちらをお読みください。
レヴィ=ストロースは、ほとんど何も持たないナンビクワラ族に人間の真の愛情の姿を見いだしている。
しかし、レヴィ=ストロースは、その後のナンビクワラ族の姿がこのように報告されているのを見て動転したという。

「私がマト・グロッソで見たあらゆるインディオのうちで、これは最も惨めなインディオの集まりである。八人の男のうち、一人は梅毒に罹り、一人は脇腹が化膿して悪臭を放ち、一人は足に傷を負い、もう一人は皮膚病で全身が鱗に覆われていた。聾唖者も一人いた。しかし、女と子供の健康状態は良いように見えた。ハンモックを用いず地面に直かに眠るので、彼らはいつも土まみれである。寒いよりには、彼らは焚火を散らして熱い灰の中で眠る…」…「…ナンビクワラ族は…野卑と言ってよいほど意地悪く不親切である。私がジュリオをかの住処に訪ねると、彼はよく火の傍に寝ていた。しかし、私が近寄るのを見ると彼は私に背を向け、私に話をするのは嫌だというのだ。宣教師たちが私に語ってくれたところでは、ナンビクワラは、しつこく物をくれとせがみ、断られると、それを奪い取ろうとすると言うことだ。インディオが入ってくるのを防ぐために、宣教師たちは、戸の代わりにしている木の葉の衝立で入口を塞いでおくことがある。しかしナンビクワラは、入ろうと思った時には、自分の通り道を開けるために、この戸締まりを突き破ってしまう…」
「…ナンビクワラ族の深い憎悪や不信や絶望の感情を知るために、彼らのところに長くとどまる必要はない。これらの感情は、完全に同情を締め出しはしないにせよ、憂鬱な状態を観察者のうちに作り出すのだから」
(Ⅱ pp189-191)

ナンビクワラ族が変わってしまったのだろうか。それとも、観察者によって目に映るナンビクワラ族の姿が違っているのだろうか。
ナンビクワラ族は悲しい。