ジョン・ロールズ「公正としての正義再説」第三部原初状態からの議論

「ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第一部基礎的諸概念」(id:yagian:20101013:1286916789)、「ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」第二部正義の原理」(id:yagian:20101014:1287003785)の続きです。
ジョン・ロールズ「公正としての正義 再説」も中盤に入ってきた。
議論の大筋はそれほど難解だとは思わないが、大筋を把握するのが難しい。厳密に議論を進めるために、さまざまな前提条件や留保が付けられている。それが読みにくくしている。哲学の本だから仕方ないけれど、大筋を説明する分かりやすい概説書は書けるような気がする。
さて、例によって第三部の要約を書こうと思う。

ジョン・ロールズ「公正としての正義再説」第三部原初状態からの議論 要約

<原初状態とは>

  • 第三部では、正義の二原理を正当化する原初状態からの議論を行う。
  • 全員がある程度の生活水準を維持できる社会的協働の必要性とさまざまな教説を支持している人々がいる穏健な多元性の二条件が、民主的社会の永続的条件であり、これを前提とした政治的正義の構想を探求する。
  • 無知のヴェールという原初状態は、社会的協働の条項について合意を取り結ぶための公正な条件をモデル化したものである。無知のヴェールにより、合意を取り結ぶ当事者たちの知識は同一範囲、同一内容の一般的事実に限られ、正義の原理について同一の判断に至り、全員一致の合意が達成することを可能にする。

<正義の二原理と功利主義の比較>

  • 民主主義思想においては、社会を自由で平等な市民が社会的協働を行う公正なシステムとする社会契約説に基づく社会観と、全構成員について集計された最大の善を生むように組織されたシステムとする功利主義に基づく社会観がある。前者は平等と互恵性の観念を含み、後者は正義についての最大化主義、集計主義の原理を示している。
  • 以下に、正義の二原理と功利主義の二つの比較を行う。第一の比較では、平均効用原理との比較によって平等に関して正義の二原理の優位を明らかにする。第二の比較では、ミニマム保障と組み合わされた平均効用原理との比較によって互恵性の優位を明らかにする。
  • 複数の選択肢において想定しうる最悪の結果を比較し、最悪な結果が最善な選択肢を選ぶことをマキシミン・ルールと呼ぶ。マキシミン・ルールに基づけば、平均効用原理に対して平等に関して正義の二原理が選択される。原初状態が、マキシミン・ルールを採用することが適切な条件を満たしているか検討する。
  • マキシミン・ルールを選択すべき条件は以下の三つである。
    • 最悪の結果が実現される確率を考慮しないこと。
    • 最悪の結果以外の結果について考慮しない。各選択肢の最悪の結果のうち最善な結果、保証水準と呼ぶ、が満足できるものであること。
    • 選択された選択肢以外の最悪の結果が、保証水準を相当下回ること。

<平等に関する原理に関する比較>

  • それぞれの原理に基づく社会における社会的・歴史的状態が実際に生じる確率を信頼できる基礎を持って推測することはできない。このため、マキシミン・ルールを適用する第一番目の条件は重要性がない。
  • 正義の二原理に基づく秩序だった社会は、最も恵まれない人においても、きわめて満足できる政治的・社会的世界であり、二番目の条件を満たしている。
  • 正義の二原理は、多元性の事実を所与として基本的な権利と自由に特別の優先性を与えることで、これらが政党の政治課題から外される。一方、効用原理では、基本的な権利と自由も政治課題の対象となる。また、正義の二原理に基づく社会は、政治性的生活に関する協調的徳性、自由で平等な人格としての市民という理想が促進される。このことにより、正義の二原理に基づく社会の方が安定した立憲政体を実現することができる。
  • 効用原理に基づく社会では、社会全体のより大きな利益のために、ある人々の基本的な権利と自由が制限される、もしくは、全面的に否定される可能性がある。一方、正義の二原理に基づく社会では、全員に平等に基本的な権利と自由を保証する。この意味で、効用原理に基づく社会の最悪の結果は正義の第二原理に基づく社会の最悪の結果を大きく下回り、三番目の条件も満たしている。
  • いったん合意したらその結果を受け入れ、結果とともに生きなければならない。このため、合意するには相当な確信をもってなされなければならない。これを、コミットメントの緊張と呼ぶ。効用原理を受け容れることは、受け入れがたい社会的立場を伴なう可能性があり、コミットメントの緊張の観点からも許されない。

<格差原理に関する比較>

  • 格差原理については、ミニマム保障と組み合わされた平均効用原理と比較する。
  • 前述とおり、確率の推測が難しいため、マキシミン・ルールの第一条件は考慮の対象としない。また、第三条件については、双方とも満たしていると考えられる。
  • 格差原理は互恵性の観念を含んでいるが、平均効用原理は総量最大化原理であり、互恵性を含んでいないところが相違している。
  • 格差原理は、次の三つの理由で、安定した社会的協働を実現できる。
    • 公正な正義に基づく社会の構成員は、相互の利益となる社会的協働に携わる自由で平等な市民だと認識することで、この原理に対する教育的効果が発現する。
    • 互恵性の観念によって、構成員は、すべての人にとって利益を受けていると考えるようになる。
    • 格差原理は、相互信頼や協調的な徳性を促進する公共的政治文化を形成することで、安定した社会を実現する。
  • 一方、効用原理は、どの点が最適なのか明らかにすることが難しく、紛争や不信感を増長することになる。
  • 正義の二原理によって秩序付けられた社会は、市民がお互いを対等者として承認し、理解するという点において平等な関係を実現する。不可欠の人間的ニーズをカバーするだけの社会的ミニマムより、平等な関係と互恵性の観念に基づく社会的ミニマムの方がすぐれている。
  • 効用原理は、より有利な状況にある人々にとっての利得のために、格差原理がより有利な人々に求めるよりも多くのものを、不利な状況にある人々に求める。
  • ミニマムな保障の水準をコミットメントの緊張を踏まえて決定することは困難である。

たしかに、格差原理は美しい思想だと思う。この原理に対して合意が得られれば、よりよい社会が築けそうである。
しかし、ロールズの論証には納得できない部分がある。原初状態において公正としての正義が演繹的に選択されると主張しているが、無知のヴェールという設定が公正としての正義に有利なもののように思える。原初状態の設定を違うものとすれば、別の結論が導き出されるように思われる。また、無知のヴェールからの演繹においても、ロールズ自身さまざまな留保を置いているが、完全に説得的なものになっていないように思う。格差原理は功利主義と比較されているが、リバタリアニズムコミュニタリアニズムと比較したらどうなるのか読んでみたい。
また、はたして格差原理ですべての人の合意が得られるのだろうか。その実効性にも疑問を感じる。しかし、実効性がないとしても、理想像としての政治哲学が示されるということの意義は大きいと思う。

公正としての正義 再説

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