丸山眞男「忠誠と反逆」

丸山眞男の論文集「忠誠と反逆」を読んでいる。
会社の引越しがあり、先週末に荷物をまとめ、今週から新オフィスに出勤となる。その関係もあって、ここのところ仕事が忙しく、なかなか読書が進まなかった。ようやく、冒頭の表題になっている論文を読み終わったので、例によって要約をしようと思う。

丸山眞男「忠誠と反逆」

<問題意識>

  • 既成の忠誠対象のドラスティックな崩壊と大量の忠誠転移という意味で、明治維新と比較されるべき戦後の「変革期」における忠誠と反逆の交錯や矛盾の力学を自我の内側から照らし出そうとする資料、研究の試みがあまりにも乏しい。
  • 江戸期の武士的エートスを支えた歴史的社会的基盤は近代化とともに解体していく。近代国家は、封建的身分、ギルド、自治都市、地方団体などの「中間勢力」の自主性と自律性を剥奪して成立する。日本では、そのような「中間勢力の自主性」の伝統はもともと弱かったけれど、その伝統が近代日本においてなぜ生かされなかったのか。
  • 本来、絶対主義的集中は、国家と社会の区別を定着させるものだが、日本では国家を社会に、また、逆に、社会を国家に陥没させる方向に進んだのはなぜか。

<伝統概念としての忠誠と反逆>

  • 「御恩」としての封土の給付に対する従者の献身的「奉公」によって成立する封建的主従関係は、律令制による法秩序の弛緩を背景として、主君への人格的忠誠を基軸とする私党的団結によって武士団の利益と安全を確保するために発展したものである。このような武士のエートスは、もともと戦闘という非日常的な状況を前提としている点においても、また生死の運命共同性の実感を分有しているという点においても、非合理性を本質としており、その流通範囲も感覚的に自己が同一化できる限りの集団を出るものではなかった。
  • 封建制の組織化と拡大は、こうした原初的なエートスの合理化の過程であり、君臣の「義」や「分」などのカテゴリーが浸透し、非常事態の行動様式が日常的な行動様式に優越し、当初の情緒的結合が一般的倫理規範まで昇華した結果である。
  • わが国における「封建的忠誠」といわれるものの基本的パターンは、非合理的な主従のちぎりに基づく団結と「義を以つて合する」君臣関係が化合したところに形成されたものである。

維新前後における忠誠の相克>

  • 王政復古」からほぼ西南戦争にいたる狂瀾怒濤の社会的政治的過程は、忠誠と反逆の人格内部での緊張と葛藤という点で、我が国未曾有の規模と高度に達した時代だった。伝統的生活環境の動揺と激変によって、自我がこれまで同一化していた集団ないしは価値への帰属感が失われるとき疎外意識が生じ、これが積極的な目標意識と結びついたとき反逆となり、目標を象徴化した権威的人格に対する熱狂的な帰依と忠誠に転化する。
  • 反逆と忠誠もたらすのは、時代の政治的社会的緊張が個人の生活様式の内部にどれだけ入り込んでいるかにかかっている。幕末から明治十年代にかけて、下級武士と豪農層がもっとも自覚的な政治行動をとったが、これは、彼らが環境の激変による挫折感、期待感の喪失が大きかったからである。
  • 王政復古」と明治天皇制の形成を忠誠問題としてみれば、次の三つの過程が相互に絡まって、激突し、合流しながらすさまじい渦を描いていた。
    • 家産官僚化した「士」がいわば戦国乱世の再来によって「武士」に再転換し、武士的エートスの本来の面目が「思い出」される過程(階層的組織の弛緩による忠誠の水平的下降)
    • 天道の超越性が新たな状況の下に再確認される過程(原理の組織からの剥離)
    • 国際的危機感に触発されて忠誠対象が上昇あるいは拡大する過程

<自由民権論における抵抗と反逆>

  • 自由民権運動のリーダーシップを形成していたのは、士族と豪農、中農層であった。彼らは、維新の際に積極的に変革の側に立ち、維新の「精神」を尊皇攘夷、「万機公論」の側面において理解し、それが裏切られたと考えたグループと、もともと幕臣、佐幕諸藩であり、西南雄藩のリーダーシップに遺恨を抱き続けてきたグループが合流した。
  • 民権論者は、ネーションへの忠誠を、君主や上司への忠誠と範疇的に区分し、忠誠と反逆の再定義を掲げて闘争する。それは、単にヨーロッパの思想の輸入だけではなく、明治維新が掲げた天、天道の概念、「万機公論」の概念に依拠していた。
  • 民権運動の「士族的」「郷紳的」要素は、社会基盤としても、また、「精神」の上でも進歩性にもかかわらず「封建的」であったという「制約」の観点からだけではなく、同時に「封建的」であったからこそ抵抗のエネルギーとなった、という側面を見すごすことはできない。
  • 徳川幕藩体制において、武士階級だけではなく、寺院、商人、ギルド、村邑の郷紳等の多元的中間勢力の広範な分散と独立性がすでにかなり弱体化していたことが、「身分」や「団体」の抵抗の伝統を浅いものとし、明治政府の一君万民的平均化が比較的容易に行われる基板があったともいえるのではないか。

<信徒と臣民>

  • 今日世界中において「ネーション」は忠誠市場における、たとえ独占体ではなくとも、少なくも寡占体として公認されているが、人間の忠誠対象は宗教上の絶対者に圧倒的な比重で向けられてきたし、今日でも広範な「発展途上地域」では依然としてそうである。世界史の上で、政治的俗的権力と宗教的教会的権力は忠誠の争奪をめぐっていたるところはげしい葛藤を繰り広げて来た。
  • 日本では、神道国家神道としても、共同体の民俗信仰としても、はじめから世俗的権力と緊張関係に立たず、むしろ本質的にそれと癒着しているから俗権と教権の相克ということ自体が問題になる余地がない。仏教は、徳川時代に寺院が完全に自主的な勢力基盤を剥奪され、寺社奉行のコントロールの下に、行政機構の末端にくり入れられて以後は、俗権に対抗して人びとの忠誠を争奪する可能性も現実性もほとんど失ってしまった。
  • 宗教的忠誠と国家的忠誠、神への忠誠と天皇への忠誠の緊張と相克という問題は、近代日本においてはほとんどキリスト教をめぐって展開される。
  • 明治二十年頃までのキリスト教自由民権運動と歩調を並べ伸長し、彼らの間では忠君から愛国へ忠誠の形態が進化するとの主張もあった。
  • しかし、内村鑑三不敬事件を契機として「教育と宗教の衝突」問題が浮上し、キリスト教は忠孝に反しない、忠君愛国と一致するなどの主張がなされるようになった。
  • 内村鑑三などのキリスト者において、伝統的な「封建的」倫理は、隷従的な臣従道徳として批判される一方で、その行動の基礎には武士的なエートスがあった。キリスト者と共に自由民権運動を支えた中間層は、官僚化と都市化という二重の意味での近代化にさらされ、キリスト者「封建的精神」を強調しても、自由民権運動のようなダイナミックな反応を見出すことができない。

<忠誠の「集中」と反逆の集中>

  • 個人が各種の複数的な集団に同時に属し、個人の忠誠が多様に分割されているような社会では、それだけ政治権力が国民の忠誠を独占したり、あるいは戦争のような非常事態に当たって、急速に国民の忠誠を集中したりすることが困難である。けれども、ある集団ないしその価値原理から疎外されたり、それへの帰属感が減退しても、彼が同時に属している他の集団または価値原理に一層忠誠を投入するうことで補充されやすいから、全体としての社会の精神的安定度は比較的高い。
  • 一方、政治権力と宗教的権威と合体して社会的忠誠を独占すればするほど、社会のさまざまな領域で発生する反逆のエネルギーも挙げてその政治的中核に向かって集中する可能性を作り出すことになる。天皇への忠誠に合一化した過程が一段落した明治末年に、「大逆」事件に象徴される反逆が政治的集中に対して発生した。
  • しかし、明治天皇制は、十九世紀ロシア・ツァーリズムに比べ、遥かに複雑で忠誠の「拡散」を随伴したカッコつきの集中であった。実業、教育、宗教、軍事、社会事業など広範な領域で社会集団が形成され、それぞれの社会集団を通じて、天皇制への忠誠があたかも多元的価値や複数集団への忠誠の分割であるような外貌を呈して進行し、天皇制的忠誠の集中化過度からくる危険を分散させた。
  • これに対して、反逆の政治的集中は、カッコの付かない、いわば単純集中であった。「志士仁人」の社会主義として結晶し、純度は高かったが、国民基盤においては、カッコつきの天皇制的集中にとうてい匹敵すべくもなかった。
  • かつては、武士的エートスに支えられていた忠誠の自発性は、忠君愛国象徴の普遍化に比例して弛緩し、アパシィと「個人主義」が普及していった。
  • 大正以後の「革命」の思想と運動が底辺の人民=プロレタリアートの「反逆」の直接的な集中の意義を過信しつづけ、「中間層の両極分解」の神話に立って、ついに政治的ダイナミックスにおける中間層の意味づけに成功しなかったことも争い難い事実である。体制の危機にさいして「地方的嚮導者」に蓄積されたエネルギーに着送したのは、かえって「右翼」急進主義者や革新官僚の側であった。

要約と言いながらずいぶん長くなってしまった。
丸山眞男の問題意識はよくわかる。明治維新における幕藩体制から天皇国民国家、そして、戦後の天皇国民国家から民主的国民国家への急速な体制の転換、忠誠の対象の変化がどのようにして起こったのか私も疑問に感じ、このことにかかわると思われる本をいろいろと読んでいる。
なんども繰り返して取り上げているが「夜明け前」の青山半蔵は、まさに、「維新の際に積極的に変革の側に立ち、維新の「精神」を尊皇攘夷、「万機公論」の側面において理解し、それが裏切られたと考えたグループ」に属している。彼は発狂してしまったから自由民権運動に参加することはなかったけれど、参加してもおかしくない階層に属している。
忠誠の多様性が社会の安定を生むという指摘は、新鮮に感じられ、また、納得させられた。特に、天皇制的集中が、「多元的価値や複数集団への忠誠の分割であるような外貌を呈していた」という点は、戦後の会社など職場への帰属意識が高かった時代にも引き継がれていたのだと思う。
現代、そのような「多元的」忠誠のあり方は崩壊過程にある。忠誠の対象が見出しがたい時代になっている。しかし、一方で、反逆の集中も見られない。これから、現代における忠誠と反逆のあり方について、考えてみたいと思う。

忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 (ちくま学芸文庫)

忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相 (ちくま学芸文庫)

夜明け前 全4冊 (岩波文庫)

夜明け前 全4冊 (岩波文庫)