ネット上での発言への責任

CNN Anderson Cooper 360°が追いかけていたClint McCanceという男がついにインタビューに答えた(http://goo.gl/y0ib)。
最近、アメリカでゲイの児童、生徒がいじめを苦にして自殺する事件が続いているという。Clint McCanceは、アーカンサス州のとある町の教育委員会(たぶん、この訳でいいのだと思う)の副委員長を務めていて、彼のFacebookにゲイの児童、生徒が自殺したのは彼ら自身の罪を償うためであり当然だという意味の書き込みをした。
CNN Anderson Cooper 360°は、これを問題として、Clint McCanceに直撃インタビューをしようとしていた。当初、Clint McCanceは、CNNとのコンタクトを拒んでいた。しかし、Anderson Cooper 360°は、連日周囲の人たちへのインタビューを行ない、ついに本人が番組に出てきた。
番組に出てきたClint McCanceは、すっかり憔悴しており、つっかえながら謝罪の弁を述べていた。そして、脅迫電話、メールが殺到しており、家族の身の危険を感じていること、教育委員会は辞任することを語った。
この一連のClint McCanceの報道は、いろいろな意味で、考えさせられ、印象に残った。
まず、アメリカの学校でもいじめがあるということ。また、ゲイの児童、生徒、学生への差別という観点からいじめが捉えられているということ。日本でも、ゲイへの差別からくるいじめは当然あるはずだし、その他のさまざまな差別とかかわるいじめがあるだろう。しかし、そのことはあまり問題として扱われない。そのことは気になる。
次に、Facebookへの書き込みへの責任という問題である。もちろん、Clint McCanceの発言は教育委員会の委員としては問題である。しかし、片田舎(これも差別的な発言で申し訳ない)の教育委員会の副委員長の発言が、全米ネットで大々的に報道され(そして、外国に住んでいる私まで)、糾弾されている。Clint McCanceを追い詰めていくプロセスは、正直に言うと、スリリングで実に面白く、いち視聴者としてはすっかり楽しんでしまったが、これはかなり怖いことだなと思う。
私は、インターネット上ではyagianという匿名のハンドルネームで書き込みをしている。リアルの私と結び付けられるのは、怖いなと思っている。そして、匿名のハンドルネームであっても、もし、仮にリアルの私の発言であることが明らかになってもこまらないように、と気をつけて書いている。
しかし、インターネットを眺めていると、それほど注意深く書いているとは思えない発言が沢山ある。そして、Facebookでは、匿名ではなく、リアルの人格と発言が結び付けられてしまう。
Clint McCanceは、よもやFacebookでちょっと書き込んだことがこのような大きな事件に発展するとは思いもしないで書いたのだろう。もちろん、このような発言をする人が教育委員会の委員として適任とは思わないが、テレビで追い詰めていくほどの価値があるとも思えない。
アメリカでは、Facebookがかなり一般化しているという。そして、日本のインターネットでの匿名文化を批判する人もいる。しかし、記録が残り、自由に検索できるインターネットの空間で、リアルの人格を公開すべきなのか、難しい問題だと思う。
発言に対して責任を持つという意味では、実名で発言すべきかもしれない。しかし、気軽に発言する場を確保するという意味では、匿名で書くことがあってもいいと思う。日常生活で、雑談していることがすべて記録され、検索できるようになったら、思うように話すことができず、重苦しい世界になってしまうだろう。インターネットの空間の軽やかさを確保するには、匿名の文化もあってもいいと思う。