うつ病患者にがんばってと言ってはいけない理由

ここのところ調子がいい状態が続き、もうそろそろ抗鬱剤とも手が切れるかもしれないと思っていたところ、抗鬱剤を切り替えたことをきっかけにして体調が崩れてしまい、まだまだ油断できないことを再認識した。その後、一日会社を休んだだけで体調を立て直すことができ、まずはよかったと思う。
このことをきっかけに、うつ病患者にとって病気がどのように感じられているのかについて書いてみようと思い立った。これから書くことは、あくまでも一患者としての私の実感だから、すべてのうつ病患者に当てはまるかどうかはわからない。しかし、うつ病患者について書かれたものと符合するところも多いから、それなりの一般性はあるのではないかと思っている。
うつ病の症状としては、精神面では極端な落ち込みや無気力、無感動の状態、身体面では不眠や激しい倦怠感などがある。両方が組み合わさることもあり、精神面の症状、身体面の症状のみのこともある。
患者として私がいちばんつらかったのは、症状がいちばん重い時ではなく、中途半端な症状の時である。症状がいちばん重い時は、もう、起き上がることもできず、寝ているしかない。もちろん、辛いことは辛いけれど、ただただ無気力、無感動で、全身のすみずみまで倦怠感が染みわたり、辛さを感じる元気すらないという感じになる。
うつ病で自殺の危険性が高いのは回復期だという記述を読んだことがある。たしかに、最悪の時期には、自殺という行為をする気力、体力が湧かない。例えば、ひもを用意して、高いところに引っ掛け、輪を作り、首を入れて、ぶる下がるという一連の行為は、ハードルが高すぎて実行できない。自殺という行為ができるようになるのは、ある程度回復していることが必要で、その時期こそ気をつけるべきだという指摘には納得できる。
調子が崩れたとき、また、最悪の時期を脱したときが、葛藤が生じて苦しむことになる。最悪の時期は選択の余地なく寝込んでいる。しかし、少し良くなってくると、会社に行くことができるような気がしてくる。そうすると会社に行かなければならないという気持ちが芽生える。しかし、いざ、実際に会社に行こうとするとうつ病の症状がじゃまをする。どうしても会社に行くのが嫌だという気持ちが湧いてきたり、起き上がるには倦怠感が強かったりする。
そんなとき、会社に行くまでの小さな作業の一つ一つが葛藤の対象になる。ベッドから出ることが大仕事である。ベッドから出ても、ソファで寝こんでしまったりする。なんとか洗面を済ませても、着替えなければならない。やっと家を出ても、地下鉄の駅ごとに電車を降りてしまったりする。目的の駅についても、会社に行けずベンチに座ったままになったりする。そうしたことを切り抜けて会社に行くことが、瞬間接着剤で地面に張り付いた靴を全力ではがしながら歩いているような感覚なのである。結局、会社の最寄り駅までたどり着いても、そこから家に帰ってきてしまったことがある。
そして、そうした葛藤には、罪悪感が結びついている。これが辛さの核心である。責任感が強かったり、完璧主義の人がうつ病になりやすいというが、うつ病になりやすいというよりも、うつ病になったときの葛藤に直面しやすいということではないかと思う。会社に行きたくないという気分があったり、倦怠感があったりしても、経済的な問題は別として、別に会社に行かずに休めばいいと思えば葛藤は生じないし、罪悪感も感じなくていい。しかし、そういった時期にこそ、普段よりも強く会社に行かなければならない、という気持ちが生じてしまい、葛藤が生じる。
例えば、調子がわるい時、会社に休むという連絡をするときには、午後になれば出社できるかもしれないと思って、とりあえず午前半休すると連絡する。しかし、結局は調子は回復せず、昼過ぎに全休するという連絡をすることになる。その間、会社にいかねば、けれども、行きたくないということで悶々とすることになる。しかし、全休するという連絡をしてしまうと、それをきっかけとして意外と調子がよくなることがある。とりあえずその日はもう会社に行かないことが確定して葛藤しなくてすむことになるからだと思う。逆に、苦労して出社する場合、いったん会社に着いてしまえば案外仕事ができるということもある。これも、会社に着くまでは葛藤に苦しむが、会社に到着することで葛藤が解消するからだと思う。
そういう意味では、仕事をする場と休息する場と時間がはっきり分かれている会社員はまだいいと思う。主婦がうつ病になった場合、家にいてもゆっくり休息できず、いつも家事と休息の間で葛藤しなければならない。家で仕事をしている作家がうつ病になったとき、入院をしたという話を読んだことがあるが、仕事と休息の場が切り離されていない場合には、病院という場に切り離す必要があるだろう。
私は、雅子妃はうつ病ではないかと思っているけれど、二十四時間皇室の一員として行動しなければならない彼女は気が休まるいとまがないだろう。だから、皇室から少しでも切り離すことができる海外に行って療養するのは合理的である。最近、子育てにのめり込んでいる雅子妃の姿に行く先に大きな反動がくるのではないかと気になっている。
うつ病患者にがんばってと言ってはいけないとよく言われるが、その理由もはっきりしたと思う。患者本人の主観としては、できるうる限りがんばっており、そのがんばりが葛藤、罪悪感という苦しみの元になっている。だから、がんばってと言われると、その葛藤と罪悪感が強まるだけで、慰めにならないのである。
患者としては、自分の状況を感情的にならず客観的に見るようになることが重要である。自分が仕事をできる状態か、できない状態か、客観的に見て、出来ない状態だったらきっぱり休み、できる状態だったら淡々と仕事をする。それが、葛藤や罪悪感から抜け出す方法である。私自身は、認知療法は受けたことがないが、認知療法は、自分の病状について偏った見方から抜け出す方法なのだと思う。結局、自分を受け容れることが重要なのである。
つれあいには、寝込んでいるときには無理をして会社に行くように言われず、そのまま寝させてもらっていた。今考えれば、いちばんいい対応をしてもらっていたのだと思う。
うつ病から完全に回復したというところまでは行かないけれど、自分なりの認知療法をして、うつ病と付き合うすべは多少は身につけたような気もする。これからも、気長に病気と付き合い、受け入れていこうと思う。