創られた伝統としての「演歌」

エリック・ホブズボウムが「創られた伝統」 で明らかにしたように、古い歴史を持つと思われている「伝統」の多くは近代に創造されたものである。
輪島裕介「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」は、ボブズボウムの手法を日本の「伝統的な」歌謡である「演歌」に当てはめたものである。
この本によれば、「伝統的で」「土着的」と思われている「演歌」(演歌という言葉自体は明治時代からあるが、現代使われている意味での「演歌」)は、1960年代末に成立し、約40年の歴史しかない。しかも、「演歌」の全盛期は1970年から1980年代前半の十数年しかないという。
「演歌歌手」の代表と思われている美空ひばりは、彼女のキャリアの前半は「演歌」という概念が成立する前で、多様な曲を歌っていた。しかし、「演歌歌手」と認識されるようになり、彼女の歌の多様性が覆い隠されることになった。「柔」の美空ひばりは「演歌歌手」だが、「東京キッド」の美空ひばりはバタ臭い歌手である。


「演歌」が成立した1960年代末は、第二次安保闘争があり、「西洋的」「近代的」「健全」「明朗」な文化の建設を目指した共産党に対して、「日本的」「土着的」「退廃的」「淫靡」なカウンター・カルチャーを提示した新左翼系の運動があった。例えば、アングラ演劇、暗黒舞踏高倉健東映任侠映画、四畳半フォークなどがある。
「日本的」「土着的」「退廃的」「淫靡」と考えられている「演歌」が、これらの文化要素と同時期に誕生しているのは、このカウンター・カルチャーの流れと無関係ではない。1970年にリリースされた、まさしく「日本的」「土着的」「退廃的」「淫靡」な「演歌」である藤圭子(宇多田ヒカルの母親)の「圭子の夢は夜ひらく」を学生運動と重ね合わさせた映像がYouTubeに投稿されているのは偶然ではない。

「圭子の夢は夜ひらく」の前年にリリースされたカルメン・マキの「時には母の子のように」は、同じ世界観を共有している。カルメン・マキがアングラ演劇の天井桟敷出身であることは、当時のカウンター・カルチャーと「演歌」の関連性を物語っている。高倉健東映任侠映画が「日本的」「伝統的」であることがその時代の文脈では「新しかった」ように、「圭子の夢は夜ひらく」も「新しかった」。


社会学者の鈴木謙介は、加藤ミリヤ西野カナといった「R&Bディーヴァ」風の歌手の楽曲の歌手における「ハッピーさから遠ざかるベクトル」を取り上げて、「ギャル演歌」と形容しています。(pp347-348)
たしかに、特に加藤ミリヤは、その風貌も含めて藤圭子の正統的な後継者なのかもしれない。


創られた伝統 (文化人類学叢書)

創られた伝統 (文化人類学叢書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)