移動する子どもたち

このところ、自分が英語を勉強していることもあって、異文化の間に立たされた人間に興味がある。それで、江戸時代の日本から外国へ漂流した人たちの話や幕末に日本へ着任したヨーロッパ人の手記などを読んでいた。
今度は、現代において異文化の間に立たされた人について読もうと思い、川上郁雄「私も「移動するこども」だった」を手にとった。
とても面白かった。
この本は、複数の言語環境を移動しながら育てられた「移動する子ども」たちだった10人に対するインタビュー集である。
10人のインタビューのなかでは、セイン・カミュの生い立ちの複雑さが興味深く、在日ベトナム人MC NAMがラップを通じて自らのアイデンティティに目覚める話が感動的だった。
セイン・カミュは、フランス系アメリカ人の父親とイギリス人の母親の間にアメリカに生まれ、さらに、母親が日本人と再婚し、幼少期にバハマレバノン、エジプト、ギリシャを経て日本に住む。
レバノンに住んでいたときには、家の外ではアラビア語とフランス語を使い、家の中では英語とアラビア語とフランス語を使っていたという。小学一年生の時に来日し、日本の公立学校に入り、苦労しながら日本語を習得する。「友だちと遊んでいるうちに、あのー、コミュニケーションとらなきゃいけないっていう状況に追い込まれて、そこで習うっていうのが一番てっとりばやいという」(p18)という状態だったという。一方、家庭内では英語力が衰えないように英語の勉強をしていたという。しかし、今でも英語を読むのは苦手だという。
大学時代に、ニューヨークに留学する。すると「アメリカに着いたら着いたで、今度は、みんなアメリカ人として当たり前に接するわけですけれども、自分はアメリカの文化っていうの、そこまでどっぷり浸かっているわけではない」(p28)ということになる。
彼のこのような複雑な生い立ちを知ると、これまでとは彼への見方が変わると思う。
MC NAMは、いわゆるベトナムボートピープルの子として神戸に生まれる。ベトナム語はあまり学ばず、中学生からは日本語の通称を名乗り、ベトナム人であることを隠すようになる。高校をドロップアウトした後、ラップに出会う。
はじめのうちは、ラップでも自分の生い立ちを隠そうとしていたけれど、「このままやったら俺一生、いつまでも素直なラップができないとうか、そのまま、自分のそのままのラップができへんやんと思って」(p186)、オカンにベトナムから難民としてやってきたことを聞き、「やっぱその自分がベトナム人やったっていうことを隠していることを全部言おうと思って。で、お母さんからの話、聞いたことと、僕の、この、今まで隠してきたベトナム人っていうことを書いて、一番と二番で『オレの歌』を作ったんすけど。」(p187)
その「オレの歌」である。

その後、ベトナムに留学して、ベトナム語を学んだという。そして、今は日本でベトナム人ラッパーとして活動している。「オレの歌」には、ひとつの大きな壁を乗り越えた瞬間が表現されている。感動的だと思う。

私も「移動する子ども」だった

私も「移動する子ども」だった