全力で「学生」するということ

つれあいと「ソーシャルネットワーク」を見に行った。
あらかじめインターネットでチケットを予約していったけれど、まちがえて前日のチケットを予約してしまったため、払い戻ししてもらえず、結局3,600円払うことになった。しかし、その価値は十分ある映画だった。
ソーシャルネットワーク」は、Facebookがハーバードの大学生の交流のためのサイトとして開発され、広く普及し事業として成功するにつれて、主人公のマーク・ザッカーバーグがさまざまなトラブルに巻き込まれていく過程を、圧倒的な会話で描いた映画である。
実にアメリカ的な話だなと思った。特に、アメリカの大学の文化のことがよく理解できる。
映画の中では、ザッカーバーグの出自は描かれていないけれど、おそらくは非常に優秀だけれども、特に有力なコネがあるわけでもない普通の一学生である。Gapのパーカーを着て、バックパックを背負っている。そして、排他的なファイナルクラブ(フラタニィのようなもの?)に入りたいと思っているが、そのコネクションがない。
一方、映画の中ではザッカーバーグの敵役となるウィンクルボス兄弟は、裕福な、おそらく父親もハーバード出身、の家に生まれ、ファイナルクラブの幹部であり、ボート選手でもある。学長に、ブルックス・ブラザーズのセールスマンのような格好と皮肉られるように、典型的かつ保守的なアイビーリーガーである。
ザッカーバーグは、もちろん、ビジネスとして成功も夢見ているが、それよりは人に認められたいということが動機になっているように見える。親友で共同創設者にFacebookに広告を入れようと言われても、それはクールではないという理由で拒否する。そして、巨万の富を得ても、あえてGapのパーカーを着るというスタイルを守っている。ハーバードのファイナルクラブにいるようなエスタブリッシュメントへの愛憎が感じられる。
ザッカーバーグより、もともと裕福なウィンクルボス兄弟の方が、自らのアイデアでビジネスを成功させるということに執着しているように見えることが興味深い。
いずれにせよ、ザッカーバーグもウィンクルボス兄弟も、大学時代にしかできないことを全力でやっているところに共感した。最近、日本の大学生の話を聞くと、二年生からリクルートスーツを着て就職活動をしているという。しかし、企業の立場から見ても、早い時期から就職活動をしていることを評価するとは思えない。それより、大学生活を全力でやりきった学生の方が、評価が高いように思う。
厳しいし、矛盾もあり、学生自身はさまざまに悩むのだろうけれど、全力で「学生」をすることができるアメリカの大学の文化はちょっとうらやましいと思った。