桜の樹の下に

今日は西行法師の和歌について書こうと思う。
和歌は日本の最も広く作られている伝統的な詩型である。西行法師は、著名な歌人で、1118年に貴族として生まれ、その後出家した。
彼は、桜をテーマとした次のような和歌を作っている。


願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ
日本語の詩を英語に翻訳することはできないので、せめて意味を説明しようと思う。
満開の桜の樹の下で死にたいと思う。仏陀が生まれた如月(旧暦の2月)の満月の頃に。
この和歌を読みながらこんな光景を想像する。

ある老僧が托鉢しながら旅をしている。長年の旅のためか、衣服はすっかりくたびれ、擦り切れている。
とある村はずれの道の脇に、大きな桜の樹があった。満開である。
老僧は疲れた足を休めるために、その樹の下に座る。
夕暮れになり、その日のねぐらを探さなければならない時間になったが、立ち上がる気力が湧かない。大きな桜の樹の下に座っていると不思議に安心感があって、そのまま座っていていいような気になる。
老僧は目をつぶり、うとうとと寝てしまう。しばらくして目が覚めると、すっかり日がくれている。
桜の花びらが満月の光に照らされながら舞っている。上を見上げると雪のように輝きながら散る花びらに包まれているようだ。
翌日の朝、村人は老僧が桜の樹の下で寝ているのを見つける。体中、桜の花びらに包まれている。起こそうと思って老僧に近づくと、もう息をしていなかった。
村人は老僧を桜の樹の下に埋葬した。そして、墓は桜の花に包まれた。
老僧の身体は土の中で朽ち、桜はその老僧の身体の養分を吸い上げる。そして、次の春、より一層見事な桜の花を咲かせた。
この西行の和歌に触発されて、梶井基次郎は「桜の樹の下には」(http://goo.gl/mf0y)という短編小説を書いている。もし、今日の日記がおもしろく感じられたら、この短編を読んで欲しいと思う。
檸檬 (新潮文庫)

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