リリックの翻訳

最近、英語にはまっている、というより、英語と日本語の関係にはまっている。
つれあいに勧められて、日本語で書いていたウェブログを英語に翻訳するようになった。英語で書くことに慣れてくると、日本語で書き始めるウェブログと英語で書き始めるウェブログが半々になり、最近ではほとんど英語で書き始めるようになった。ウェブログを書く前に、ベッドの中や通勤の時間に頭の中で原案を考えるのだが、このところは英語で文案を練るようになった。
英語で書いたウェブログを日本語に翻訳すると、英語的発想と日本語的発想が違うこともあって、妙な日本語になってしまう。そんなこともあって、日本語に翻訳するのがいやになってきた。
結局、英語版ウェブログ(http://goo.gl/J3DhM)と日本語版のウェブログを独立させることにして、それぞれで書きたいことを書くことにした。
自分の英語や日本語を自分で翻訳すると、自分がほんとうに書きたいことが書けなくなるような気がしてあまり好きではないけれど、翻訳という行為そのものはけっこう好きだ。
自分の書きたいことを自分で書くということはもちろん楽しいけれど、他の人が書いたことをいかに他の言葉に置き換えるか、という作業もパズルを解くような面白みがある。また、自分では決して書かないような表現をすると、自分自身の表現の幅が広がるような気もする。
サンボマスターの「戦争と僕」「二つの涙」という歌の歌詞を英語に翻訳してみた。(http://goo.gl/JgqWV, http://goo.gl/YePma)
サンボマスターさん『戦争と僕』の歌詞
サンボマスターさん『二つの涙』の歌詞
もちろん、ロジカルな文章に比べてリリックは翻訳が難しい。ロジカルな文章は内容が英語に移しかえられていればとりあえず合格だけれども、リリックの場合はニュアンスも含めて英語で表現されている必要があるだろう。翻訳した結果が英語としてリリックとなっているかについては、自分でも見当もつかない。けれど、なるべく英語としてニュアンスを表現するべく試行錯誤するのは楽しかった。
例えば、「二つの涙」の最初のセンテンス「君だけにありったけの花束を贈ることだけが愛じゃないだろう」を、"Giving you full of bouquet isn't only love, you know."と訳した。
もとのリリックが、「君だけ」「贈ることだけ」と「だけ」が二回でてきた、ややくどい(はっきり言えば文章として下手)なので、"Giving just you full of bouquet isn't only love, you know."と訳すこともできたけれど、「だけが愛じゃない」という部分がこのセンテンスのポイントだと考え、"just you"の"just"を省くことにした。
「だろう」もいろいろな訳し方が考えられる。"Giving you full of bouquet might not be only love."や"Giving you full of bouquet may not be only love."や"I think giving you full of bouquet may not be only love."とも訳せると思う。
最後の"I think ..."は、リリック的ではないので、とりあえず候補から外した。サンボマスターが「君だけにありったけの花束を贈ることだけが愛じゃないだろう」と歌うとき、「だろう」と言いながらも、このセンテンスの内容について確信がないからはなく、確信しつつ「君」に呼びかけるために「だろう」と言っているだと思った。"might not be"や"may not be"では、サンボマスターの確信の度合いが表現できないので、ここは"isn't"ではないと収まりが悪いと思った。そして、呼びかけの意味の「だろう」は、文末に"you know"を付けて表現することにした。
また、この歌では、「汚い」という言葉と「美しい」という言葉がキーワードになっている。「汚い」は"dirty"と訳せばよいとすんなりと納得したけれど、「美しい」の方はやや悩んだ。あきらかに単純に"beautiful"と訳すのは適切でないと思った。
シソーラスで"dirty"の反対語を検索すると、clean, pure, spotless, sterile, moral, uprightと言った言葉がでてくる。"dirty"の反対語には"beautiful"がないということが興味深い。"dirty"が平易な言葉だから、対比する言葉も平易でなければ釣り合いがとれないと思い、"clean"か"pure"か、どちらにするのかで悩んだ。ここは、まさに英語としての語感がわからないという問題である。サンボマスターが「きれい」という言葉を選んでいたら"without dirt"という意味で"clean"を訳語にしていたと思う。彼らがわざわざ「美しい」という言葉を選んでいるということは、この言葉に大げさに言えば「高貴さ」というニュアンスを込めていると思い"pure"の方を選んだ。しかし、英語のリリックとしてどちらの方が適切だったのかは今でもよく分からない。
しかし、こんなことをあれこれ考えながら翻訳をするのは楽しい。ただ音楽を聴いているだけでは、これだけ深く掘り下げてリリックを考えることはないだろう。