匪賊とテロリストと社会環境

エリック・ホブズボーム「匪賊の社会史」を読んだ。現代社会のことを考える上でも、日本の歴史を見直す上でも、非常に参考になる視点を提示している本だと思う。
「匪賊」ということばがなかなかイメージしにくいが、原題は"Bandits"である。ホブズボームはマルクス主義の歴史学者だから、唯物史観を基礎においているが、「匪賊」とは、社会が一定の発展段階に到達したとき、主に農山村地域に現れる武装集団のことを指している。ホブズボームは、ロビン・フッドを"Bandits"の象徴と書いているが、東洋では「水滸伝」の梁山泊をイメージすればいいかもしれない。小規模な匪賊という意味では、「七人の侍」の野武士を考えてもらってもいいかも知れない。
ホブズボームの「匪賊の社会史」は、高島俊男「中国の大盗賊・完全版」に引用されているのを見て、興味を持ち、読むことにした。高島俊男がホブズボームについて書いた文章はすでに以前の日記(id:yagian:20110113:1294888744)で引用しているので、ここでは再掲しない。
要約すれば、「匪賊」(高島俊男は「盗賊」と呼んでいる)とは、氏族社会と近代資本主義社会との中間の段階にある農業社会の辺境地域に発生する武装集団で、近代資本主義により交通が改善され、国家の統一が確立すると消滅する存在である。高島俊男は、この「匪賊(盗賊)」の概念を中国の歴史に当てはめ、その最大の存在として毛沢東中国共産党による中華人民共和国の成立について語っている。
私見では、ホブズボームの議論を忠実にたどれば、毛沢東自身は匪賊(盗賊)ではなく、匪賊(盗賊)を利用して彼自身の王朝を建国したという方が正確かと思う(もちろん、毛沢東自身を匪賊(盗賊)と呼んだ方が話は面白く、インパクトはあるけれど)。
現代の中国では、もはや匪賊(盗賊)が跋扈する社会条件が失われており、再度、匪賊(盗賊)によって現在の中華人民共和国が転覆されるとは思わないけれど、世界を見渡せばホブズボームが考える匪賊が成立する条件を満たしている地域はそこここに見出すことができる。
アフガニスタンパキスタンのトライバル・エリアのターリバーンは典型的な匪賊だと思う。さらに言えば、アフガニスタンの現政権を支えている勢力自身も匪賊であり、アメリカを中心とした勢力は、ターリバーンという匪賊を排除しようとして、別の匪賊に肩入れをしているように見える。
ホブズボーム的な観点に立てば、アフガニスタンやトライバル・エリアに資本主義社会と統一的な国家権力が成立すれば自然に匪賊たちは存在基盤を失って消滅するということになる。逆に言えば、そのような社会的な基盤ができあがらなければ、個別の匪賊を攻撃したところで、匪賊という現象自体はなくならないということになる。このような下部構造が上部構造を規定するというマルクス主義的な観点がどこまで妥当性があるのかはよくわかならいけれど。
また、現在の匪賊は、古典的な匪賊と違ってアルカイダのような国際的なネットワークを持ったテロリストが連携したり、乗っ取ったりするという側面があるから、ホブズボームの「匪賊」の概念で語りきれない部分もある。
その他、ソマリア沖、マラッカ海峡の海賊、混乱期のイラク中南米で頻発した誘拐もホブズボームの匪賊の概念を当てはめればよく理解できる。匪賊と彼らの経済活動について書かれた部分を引用したい。

 まず匪賊団の経済的側面を考察しよう。盗賊は飲み喰いしなければならず、武器弾薬を補給しなければならない。奪った金を費し、あるいは分捕り品を売りさばかなければならぬ。…匪賊は購入し売却する。…
 こうしたことはすべて、匪賊が仲買人を必要としていることを示している。この仲買人が匪賊と地元の経済との間を結んでいるばかりでなく、取引のいっそう広い網の目との間をも結びつけているのである。…チュニジアの半遊牧民のように、彼らは盗んだ家畜を「報酬」と引換えに持主へ返す手筈を制度化しているばあいもある。…掠奪品を売りさばくためのある種の機構なしにはすまされないからである。また、その掠奪した品物が地元では何ら需要のない商品であることもありうるからである。こうした仲介人は身代金を要求する誘拐のばあいもまた必要とされる。
(pp124-131)

ソマリアの海賊やその他世界各地で発生する組織的な誘拐によって、犯行を行った者たちはどのように報酬を得ているのか不思議に思っていたが、過去からこのような匪賊たちには、伝統的に仲介する人びとがなかば制度的に存在していたということなのだろう。
ソマリアの海賊対策に護衛のための軍艦を派遣することは意味のないことではないけれど、本質的には、ソマリアという国の資本主義化、国民国家化を支援して、匪賊とそれを支える社会的環境自体を変革しなければなくならないのだろう。
一方、ホブズボームの「匪賊」という概念は、高島俊男がそれを使って中国の歴史を分析したように、現代社会の分析だけではなく、歴史研究にも新しい視点をもたらすものなのだろうと思う。
以前の日記(id:yagian:20110113:1294888744)にも書いたから、詳しくは繰り返さないけれど、例えば日本の戦国時代は、ホブズボームの「匪賊」が跋扈する条件にまさに合致するし、当時の「武士」たちの行動も世界史的な文脈に位置づけることで新しい視点が得られるかもしれない。

匪賊の社会史 (ちくま学芸文庫)

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完訳 水滸伝〈1〉 (岩波文庫)

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中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

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