アイゼンハワー大統領退任演説 1961年1月17日

Eisenhower's Farewell Address to the Nation, January 17, 1961 (http://goo.gl/whwEH)

NHK-BSで、アメリカで製作された911に関するドキュメンタリー番組を見ていたら、アイゼンハワー大統領(http://goo.gl/rFEJ2)の退任演説が引用されていた。きわめてアメリカ的で、かつ、現在の日本に対しても示唆的だと思ったので、翻訳してみた。

実は、一昨日のエントリー(id:yagian:20110908:1315430005)は、この演説を引用するための前振りのつもりで書き始めたのだけれども、思いのほか長くなってしまって、独立したエントリーにしてしまった。

たしかに、このアイゼンハワー大統領の演説は、アメリカ的価値を世界に広げることをアメリカの使命として強調しており、そこがあまりにアメリカ的でへきえきする人もいるかもしれない。しかし、一方で、第二次世界大戦の連合軍の司令官でもあったアイゼンハワー大統領が軍産複合体の危険性を指摘していることは注目すべきだろう。

退任演説では、大統領職の遂行のための配慮をしなくてよいから、もっとも自由に発言できる場だ。それだけに、その場で何を語るかは、その人自身の思想を問われることになると思う。アイゼンハワー大統領の場合は、演説の中で述べているように、政治家として影響力を行使することを考えず文字通り一市民に戻ろうとしたのだから、より自由度は高いと思う。しかし、そのことを差し引いたとしても、また、そのような自由に発言できる場でこのような演説をしたアイゼンハワー大統領は評価に値すると思う(日本の首相の退任演説で記憶に残るようなものはあっただろうか)。

こんばんは、アメリカ国民の皆さん。まず、ラジオとテレビネットワークに国民に対してメッセージを伝える機会を与えていただいてきたことへ感謝を表したいと思います。特に、今夜、演説の機会を与えていただいたことに深く感謝します。

半世紀のわが国への奉職を終え、今から三日後に伝統的で厳粛な儀式において、大統領職の責務を後継者に引き渡します。

今夜、お別れのメッセージとささやかな最後の思いを国民のみなさんにお伝えしたいと思います。

すべての市民と同じく、新大統領と彼とともに働く人たちの幸運を願っています。また、来る年がすべての人にとって平和で繁栄したものでありますようお祈りしています。

私たちは、大統領と議会が重大な問題において、本質的な合意と国民のよき未来をつくる賢明な解決に至ることを望んでいます。

私自身の議会との関係は、かつて上院が私を陸軍士官学校に任命した時の疎遠なものから始まり、戦時とそれに続く戦後における親密な関係、そして、この8年間の相互依存の関係に至りました。

この最終的な関係において、議会と行政はきわめて重要な問題に関して単なる党派の立場を超えて協力し、わが国の状況を改善することができました。議会との公的な関係は終わりますが、ともに仕事ができたことを心から感謝しています。

私たちは、大国による四つの大きな戦争が起こった世紀の真ん中の10年間に位置しています。そのうち三つの戦争に私たちの国も参戦しました。悲惨なできごとにもかかわらず、今日、アメリカは世界で最も強力で、影響力があり、生産力のある国になりました。アメリカのリーダーシップと名声は、単に他に抜きん出た物質的な進歩、豊かさ、軍事力によるものではなく、私たちがその力を世界の平和と人類の進歩に用いたことによります。そのことを知ることによって、このアメリカの優越性が誇りに足るものになるのです。

自由な政府によるアメリカが一貫して追求してきた目的は、平和を保ち、人類の進歩を促進し、人民と国家の自由と尊厳と品位を高めることでした。

限られたものを争うことは、私たち自由で宗教的な国民にはふさわしくないことでしょう。

傲慢さや犠牲への償い、それへの心構えの欠如による失敗は、国内、国外において私たちに深い傷をもたらすでしょう。

これらの崇高な目的に向けた進歩は、現在世界をまきこむ対立によって常に脅かされています。私たちは強い関心を持たなければなりません。私たちは、世界中に広がった無神論の無慈悲で狡猾な敵対的なイデオロギーに直面しています。不幸なことに、その危険がいつまでも続くかわかりません。うまく対応するには、危険に対する感情的で一時的な犠牲ではなく、自由を支えとして持続的で確実な長期的で複雑な戦いに不満を漏らすことなく耐えることが求められています。それによって、どのような挑発にあっても、恒久的な平和と人類の向上に向けて定められた道を歩むことができるのです。

危機は続くでしょう。国外からのものであっても、国内からのものであっても、大きなものであっても、小さなものであっても、危機に直面したとき、一見すばらしい高価な方法によって現在のすべての困難を解決することへの誘惑に駆られます。新たな防衛に関する装備の圧倒的な拡大、農業におけるすべての病害を解決する非現実的な計画への投資、基礎研究、応用研究の飛躍的な拡大、その他のさまざまな方法が、唯一の望ましい方向性だとして提案されるでしょう。

しかし、どの提案もより広い観点から比較考量されなければなりません。バランスを維持する必要があります。国家的な政策におけるバランス、民間部門と公共部門の経済のバランス、費用と得られると期待される利益のバランス、明らかな必要性と快適を求める要望のバランス、国家としての本質的な要求と国が個人に負わせる義務のバランス、現在の活動と将来の国家的な福祉のバランス。よき判断はバランスと進歩を求め、その欠如は最終的には不均衡と不満をもたらします。

長年にわたる歴史が、私たち人民とその政府が、この真実を理解し、脅威に対してうまく対処してきたことを証明しています。

しかし、新たな種類、影響力のある脅威が継続的に出現します。

それらのうち、二つについて話します。

平和を守るための必須の要素は軍事力です。私たちの兵器は強力であり、いつでも行使できるように準備されていることで、潜在的な脅威は自らが破滅する危険性を認識することによって防止されます。

今日の私たちの軍事組織は、平時の際の前任者や第二次世界大戦朝鮮戦争を戦った者ですら、ほとんど関わりのないものになっています。

近年の世界的な対立が始まるまで、合衆国には軍需産業はありませんでした。アメリカの「鋤」の製造者は、求めに応じ時間をかけて「剣」を作ることもできました。しかし、現在、私たちは国家の防衛を非常時における突発的な対応にゆだねるリスクを犯すことはできません。巨大で恒常的な軍需産業を作らざるを得ませんでした。さらに、350万もの人々が軍に直接的に関与しています。私たちは、軍事的な安全保障のために、合衆国のすべての企業の純利益より多くの費用を費やしています。

この巨大な軍と軍需産業の複合体は、アメリカの歴史のなかで新しく登場したものです。経済的、政治的、そして精神的な総合的影響力は、すべての町、州議会、連邦政府のあらゆる部署に及んでいます。私たちはこの複合体の発展の絶対的な必要性を認識しています。その一方で、その大きな危険性を見逃してはなりません。その複合体は、私たちの労働、資源、生活のすべて、社会構造そのものに関わっています。

意図的であろうとなかろうと政府の審議会における軍産複合体による不適切な影響力の獲得に対抗しなければなりません。不適切な権力の拡大の可能性は現に存在していますし、これからも存在し続けるでしょう。

この複合体によって私たちの自由や民主主義のプロセスを危険にさらしてはいけません。それが当たり前のことだとはけっして考えてはいけません。警戒心と知識のある市民だけが、巨大な産業と軍事のメカニズムを私たちの平和的な方法や目的に従わせ、安全保障と自由を適切に調和させることができます。

産軍体制の根本的な変化に似ており、また、その大きな原因となったものは、この数十年間における技術的革新です。

この革新において、研究開発が中心的な存在になるとともに、標準化され、複雑になり、より高価なものとなりました。研究開発のシェアの安定的な拡大は、連邦政府のために、連邦政府により、その指示に基づいてなされたものです。

今日、自分の店で修理をしているような孤独な発明者は、実験室や実験場の研究者たちに取って変わられました。同じように、歴史的に自由なアイデアと科学的発見の源であった自由な大学は、研究活動における革新を経験しました。研究開発に費やされる巨額な費用がその理由の一端となり、政府との契約が知的好奇心に取って変わりました。古い黒板が、何百台もの電子計算機に置き換わりました。

連邦による雇用、プロジェクトへの配分、金の力によって国の研究者が独占的な地位を占める可能性が常にあり、そのことは深刻に受け止めるべきです。

科学的研究や発見に対しては敬意を払うべきですが、同時に、公共政策が科学技術エリートに支配されてしまう逆の危険性にも警戒すべきです。

私たちの自由な社会の究極な目的に向けて、これらの、また、その他の権力、新しい権力、古い権力を民主制の原則の元に、枠にはめ、バランスさせ、統合することは政治家の使命です。

バランスを保つもう一つの要因は時間です。私たちと政府が社会の将来を考える時、自分の安楽と利便性のためだけに、将来のための貴重な資源を盗み、今を生きることの衝動に身を委ねてはいけません。私たちは、孫たちの政治的精神的な遺産を損なうことなく、物質的資産だけを抵当にすることはできません。私たちは、将来民主制が破産してしまった見せかけだけのものになるのではなく、これからのすべての世代にわたって存続することを望んでいます。

これから書かれるであろう長い歴史において、小さくなりつつある私たちのこの世界は、ひどい恐怖と憎悪の社会ではなく、相互の信頼と尊敬にもとづく誇ることができる共同体にならなければならないとアメリカは知っています。

このような共同体は対等な存在から成り立っているべきです。共同体のテーブルについた者のうちもっとも弱い者であっても、私たちのモラル、経済、軍事力によって、私たちと同じように信頼され、守られなければなりません。そのテーブルは過去の多くの失敗によって傷ついていますが、戦場の悲惨さゆえに放棄すべきではありません。

相互の名誉と信頼に基づいた軍縮は、継続的に求められる義務です。私たちはともに武器ではなく、知性と慎みに基づく決意によって相違を乗り越えることを学ばなければなりません。このことへの必要性は明確です。私は公職を申にあたってはっきりと失望していることを告白しなければなりません。戦争の恐ろしさと長引く苦痛を目の当たりにした者として、何千年もかけて時間をかけ苦痛とともに築きあげてきたこの文明が次の戦争で完全に破壊されることを知る者として、今晩、永久に続く平和が間近にあると言えればよかったと思っています。

幸いなことに、戦争は避けられています。究極の目的へ確実に前進しています。しかし、まだすべきことが多く残されています。一市民として、世界がこの道を進み続けるために、私のできることであればどんなささやかなことでもやり続けようと思っています。

戦時においてもまた平時においても、私に多くの機会を与えていただいたことに対して、この最後のあいさつを機会として、みなさんに感謝したいと思います。あとに残されたやるべき価値のある仕事については、将来みなさんがよりよい方法を見つけることを確信しています。

市民のみなさん、私たちは、すべての国家が、神の下で、正義とともにある平和という目的に至ることを強く信じるべきです。私たちが、常にゆるぎなく原則に従い、信念を持ちながらも力の行使においては謙虚であり、国家の偉大な目的の実現に向けて力を尽くしますように。

私は、世界中のすべての人たちに向けて、もう一度アメリカが途切れることなく祈っている願いを表明します。

あらゆる宗教、あらゆる人種、あらゆる国の人たちが人間としての必要が満たされますように、いま失業している人たちが就業の機会を得られますように、自由を求めているあらゆる人たちが自由の霊的な恩恵を得られますように、自由な人たちはその重い責任を理解しますように、他の人たちの必要に無関心なあらゆる人たちが思いやりを身につけますように、貧困の苦しみ病気や無知の苦しみが地球からなくなりますように、そしていつの日にか、すべての人たちが、おたがいの尊敬と愛が結びつける力によって確かな平和の中でともに生きることができますように、私たちは祈っています。

今、金曜の夜に、私は一市民となります。そのことに誇りを持ち、楽しみにしています。

ありがとう。さようなら。