「賭けをして、そして、生き延びた 」村上春樹インタビュー和訳:エマ・ブロックス、ザ・ガーディアン

以前、村上春樹カタルーニャ賞でのスピーチを英訳したところ(英語の品質には問題はあったけれど)好評だった。いまでもけっこうアクセスする人がいる(http://goo.gl/Gi2hH)。

今度は「1Q84」の英訳が出版された機会に、英語の媒体(the Gurdian)に出た村上春樹のインタビューを和訳してみようと思う(原文が「文学的」な文体で、翻訳していて腑に落ちないところや、辻褄があっていないところもある。多分私の誤訳なんだろうと思う)。

村上春樹が以前から語っていたことも多いけれど、彼が海外ではこのように読まれているんだと興味深く感じる部分もある。

http://www.guardian.co.uk/books/2011/oct/14/haruki-murakami-1q84

「賭けをして、そして、生き延びた」

彼の両親は、彼が三菱に就職すると期待していた。しかし、その代わりに村上春樹は若くして結婚し、ジャズバーを買い、執筆を始めた。彼の新作「1Q84」が出版される機会に、エマ・ブロックスがハワイへこの謎めいた作家に会いに行った。

村上春樹の新作「1Q84」は1,000ページあり、三巻に分けて出版される。3年間かけて書かれたこの小説は、ニューヨークからホノルルまでの11時間のフライトで、半分ぐらい読むことができた。村上春樹はこのことを聞いてがっかりしたようだが(執筆と読書のスピードの比率は作家を元気づけることはない)、狭い席に押し込まれて小説を読むことは、その小説からどれだけその力を奪うことができるのか、恰好のテストになる。読者は、その11時間の間、完璧に村上ワールドに入り込むだろう。

私たちは山並みに縁取られた完璧なビーチを見下ろすワイキキのハイアットホテルのプレジデンシャルスィートにいた。63歳なのにスケボーをする少年のように見える村上春樹は、日本の家、ハワイの家、そして、彼が「あっちの方」とよぶ第三の場所で過ごしている。そこは、毎朝小説を書いているときに彼が消え去るところで、「村上スタイル」と呼ばれるキャラクターたちがいるところだ。何百万部の本を売り上げる作家にとっては当然だが、謎めいていて、平静な、激しく、抑圧され、無造作に表現される感情によって、彼はカルト的人気を勝ち得た。私がハワイを離れる前に、ある友人に村上春樹に魅了されていると打ち明けられたが、その理由の一端は村上春樹のような人間になりたいという欲求だ。

村上はインタビューの時に何度も繰り返して「自分は芸術家だとは思ってない。ただ単に書きものをしている男なんだよ。」と語っていた。

村上のクールさは、20代のころジャズクラブを経営していたという「自堕落ではない」経歴と、それと同様に現在の「自堕落ではない」ハードな生活習慣からもたらされている。最新のエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」に詳しく書かれているように、村上はたいてい4時には起きて、昼まで執筆し、午後はマラソンのトレーニング、中古レコード屋めぐりをし、9時には妻と就寝する。その生活習慣は、彼の小説と同様に有名で、彼の20代の混沌とした生活から軌道修正する清潔で奇妙な空気感がある。そして、また、三年間で1,000ページを書き上げるために必要な規律でもある。

村上に深く考えずなにが重要なのか尋ねた。「フィジカルですね。三年間毎日書き続けるなら、強くなければなりません。もちろん、メンタルにもタフである必要があります。これはとても重要なことで、フィジカルにもメンタルにも強くなければならないですね。」

彼がいつも繰り返す習慣は、彼の語るすべての言葉に非常に深みを与える。彼はランニングの「比喩的な」重要性について書いている。毎日なにかを成し遂げるとうことは、彼にとっての書くということの「業」の一例になっている。彼は考えこむように「そうだね、うーん。」と言った。ドアを開ける動作をしながら「ドアを開けるために力が必要なんです。毎日書斎に行って、机に座り、コンピューターのスイッチを入れる。その瞬間、ドアを開けなきゃならないんです。「別の部屋」に入らなければならない。もちろん、比喩的ですけれど。その後、こちら側の部屋に戻ってきて、ドアを閉じなければならない。ドアを開け、閉めるために、文字通りフィジカルな強さが必要なんです。強さがなくなったら、短編小説は書けたとしても長編小説は書けないでしょう。」

毎朝そんなことをするためには、克服しなければならない恐怖はないのでしょうか。

彼は笑いながら「ただの習慣なんです。退屈な習慣です。でもとても重要な習慣。」と言った。

それは、カオスだからですか。

「ええ、潜在意識に入っていくんです。カオスに入っていかなければならいんです。でも行って帰ってくること自体は習慣です。実際的にならなきゃならない。だからいつも言っているように、長編小説を書くには実際的にならなきゃいけないし、みんな退屈して失望するんです。」と彼はまた笑った。「もっとダイナミックで、クリエイティブで、芸術的なことが聞けると思うんですね。でも、私が言いたいのは実際的にならなきゃならないということなんです。」

そんな風に早起きする人は二つの人生を過ごすことができる。村上の言葉を借りれば、環境の劇的な変化や、外向きの生活と内面の生活に分裂した自我のギャップによって、一つの人生は二つに分裂する。彼の新作は、ヒロインの青豆(グリーンピースを意味する)が渋滞する東京の高速道路でタクシーに乗っているリアリスティックな描写から始まる。ジョージ・オーウェルに敬意を表した1984年である。遅刻しないために、彼女はタクシーから降りて、メンテナンス用の階段で地上に降りる。そこで、彼女はパラレルワールドにいることに気が付き、その世界を1Q84と呼ぶ。いつもの村上の小説のように、シュールリアルな要素、浮遊する時計、巨大化する犬、「リトル・ピープル」と呼ばれる死んだ山羊の口からでてくる物体、を描写する魅力的でリアリスティックな語り口によって、読者を少しだけ浮き上がらせる。それらがナンセンスという訳ではないのではないが、作者は小説のなかに入り込んでいると思わせる。

1Q84」のなかで、編集者は作家に対してこう語る。「クエスチョンマークのプールのなかに入れられると、読者は明快さの欠如を作者の怠慢だと思いたがる。」

作家はこう答える。「もし、作者が読者を最後まで引っ張っていく非常に興味深いストーリーを書くことができたら「怠慢」とは言えないでしょう。」日本で出版されてから1か月で「1Q84」は百万部以上売れた。

村上の経歴の一部は、彼にとってすらミステリアスである。彼は作家になる決心をした理由を語らない。そんなつもりはまったくなかったのに、ある晴れた日に野球を見ているときに、単にそのような思いつきが降ってきたという。彼は、20歳代の後半で、飼猫の名前からつけたピーター・キャットというジャズバーを経営していた。1978年だった。反抗の季節はもう終わっていた。彼は1960年代に大学教授と専業主婦の間に一人っ子として育ち、同世代の人たちと一緒に、親が期待する生き方に背いた。大学を卒業してすぐに結婚して、研究を続ける代わりに借金をしてジャズバーを開き、音楽への愛情を満たした。彼のまわりにいた友人もやはり反抗した。友人の何人かは自殺をした。村上春樹はそのことをよく書いている。「彼らは死んでしまった。とにかく混乱していた時代だった。いまでも彼らのことを考えている。たまに自分が63歳になったということが奇妙に感じることがある。自分が生き残り(サバイバー)のように思う。彼らのことを考えると、いつも自分は生き続けなければならないと感じる。とても強く。人生を無駄にしたくないから、はっきりとした目的をもたないと。生き残ったからには、すべてを与える義務がある。だから、フィクションを書くときには、死んだ友人のことを考えている。」

振り返ってみると、彼自身の状況がいかに不安定だったのかがよくわかる。多額の借金をしていて、妻と一緒にバーで長時間働き、将来も見えなかった。「1968年か1969年の頃は、どんなことでも起こり得たんだ。エキサイティングだったけれど、危険でもあった。賭金は大きくて、勝てば大きなリターンがあったけれど、負ければ賭金を失ってしまうんだ。」

彼はバーでギャンブルをしたのだろうか?

「あああ。結婚がいちばんのギャンブルだったな。20歳か21歳だった。世の中のことぜんぜんわかってなかったし。バカでイノセントだった。あれは賭けだったね、妻と一緒の生活は。結局、生き残ったけれど。」と村上は言った。

彼の妻、高橋陽子は、彼の最初の読者である。野球の試合でのひらめきから生まれた小説は「風の歌を聴け」という題名で、日本の新人作家への賞を取った。しばらくの間は執筆をしながらバーを経営していて、それは彼の向上のために不可欠だった。彼が言うには「ジャズクラブを持っていて、十分なお金があった。だから生活のために書く必要がなく、それは非常に重要なことだった。」日本で「ノルウェイの森」が300万部以上売れて、彼はバーを続ける必要がなくなったけれど、時々バーの経営を続けていた別の人生を想像することがある。その人生がいまより不幸せだったとは思っていないようだ。

「もう一つの人生について考えることはあるかって?ううん、そうだね。だから今でも不思議に感じることがあるんだ。たまに、なんでいま小説家なんだろうと思うことがある。作家になるというはっきりした理由があった訳じゃなく、何かがおこって、作家になった。今では成功した作家だけれども。アメリカやヨーロッパに行くと、多くの人が自分のことを知っている。ほんとうに変な感じなんだ。しばらく前にバルセロナに行って、サイン会をしたら、ねえ、1,000人も人が来たんだ。女の子がキスをしてくれて。ほんとうに驚いた。いったいなにがあったんだってね。」

彼は計画をたてずに直感にしたがって書いている。最新の小説のアイデアは東京で移動しているときに思いついた。もし渋滞している高速道路で非常口から脱出したら、人生はどんな風に変わるのだろうか?「それがきっかけでした。これは長編になるという予感があり、強い意欲がわいてきました。そのことがわかってたんです。「海辺のカフカ」を書いて5、6年後だったかな、新しい本を書くきっかけを待っていました。そしてそれがやって来た、来たんです。これは大きな仕事になると。そう感じたんです。」

1Q84」が不可解に感じられる部分は、村上の魅力の一部である。例え、読者に奇妙に不満足な気持ちを抱かせるとしても。この小説の不自然さについて、不自然さそれ自体に関するコメントという形で作者が弁明している。その即物的な文体は時には腹立たしくもある。「彼は、空に二つの月があること、また、サナトリウムの父親のベッドの上にある空気さなぎが物質化するのを見てから、天吾は何にも驚かなくなった。」

以前の小説と同じように、もっとも感動的なシーンはメインプロットと関係がない。村上がヒットすることを考えてできるかぎり伝統的な手法で書いた「ノルウェイの森」では、もっとも感動的なのは主人公と彼のガールフレンドの父親との間のシーンである。「1Q84」では、青豆が愛する天吾と、彼が愛することができない死にゆく父親との間のシーンである。村上のキャラクターはたいてい不幸な子供時代を過ごしていているのは偶然ではないと彼は言う。彼が成長している間には、ドラマティックなことはなにも起きなかった。それでも、彼が言うには「虐待されていたような気持ちを抱いていたんです。自分がそうなりたいと思っていなかったことを父親が期待していたから。」彼は笑いながら言った。「両親は学校でいい成績をとることを望んでいたけど、成績はよくなかった。勉強をするのが好きじゃなかった。ただ、やりたいことをしていたかったんです。僕は頑固だったから。両親はいい学校に行って三菱かそんな会社に就職することを期待していたけど、そうしなかった。自立したかったんです。だから、ジャズクラブを開いて学生結婚をしました。両親はそのことについては喜んでなかった。」

どんなふうにそのことを表現していたんですか?

「両親はただぼくに失望したんです。子供にとってはそんなふうに失望されるっていうことはきつかった。両親はいい人だし、いまでもそうだと思う。でも、僕は傷ついたんです。自分自身は子供がいないけど、ときどき子供がいたらどうなったんだろうと思うことがある。でもうまく想像できない。子供の頃幸せじゃなかったから、幸せな父親になれるかよくわからないんです。わからないな。」

それで、彼はどうやって自分の望むことをすることに自信を持てたのだろうか?

「自信?ティーンエイジャーの?自分が好きなことはわかっていたから。本を読むのが好きで、音楽を聴くのが好きで、猫が好きだった。ただの子供だったけれど、好きなことがわかってたからハッピーになれた。その三つは子供の頃から変わらない。今でも自分が好きなことはわかってる。それが自信なんです。もし自分の好きなことがわかっていないと、どこにも行けないでしょう。」

彼が国内でいちばん広く知られている知識人である日本では、ほとんどあらゆる問題に関する村上の意見が求められる。シャイで控えめな彼は公衆の前に出ることを嫌っているが、本を通して国民的な議論に参加している。1995年に東京の地下鉄で起こったサリンガス事件に触発され、この事件に関するジャーナリスティックなエッセイ「アンダーグラウンド」を書いた。彼は日本の小説家として日本を代表しなければならないと感じ、母国では応じないパブリシティを海外では引き受けている。そして、彼がもっとも愛する小説家であるレイモンド・チャンドラーを含め多くの西洋の小説を翻訳しているけれど、日本語の作品を英語に翻訳するのは難しいと言う。彼は自分の小説を翻訳せず、いつも彼の作品を翻訳する翻訳家と、この言葉をどうしようかとあれこれ議論をしている。

日本を地震津波が襲った今年の前半、彼はホノルルにいた。彼は、このことが国を変えてしまったと言う。「人々は自信を失ってしまった。終戦以来懸命に働いてきた。60年間も。豊かになるにつれて、幸せになった。けれども、結局、どんなに懸命に働いても、幸せをつかむことができなくなってしまった。そして、地震が起き、多くの人が避難しなければならなくなり、家と故郷を失った。悲劇です。科学技術に自信を持っていたけれど、原子力発電所は悪夢になった。そして、自分たちの生活を根底から変えなければならないのではないかと思うようになり始めている。これは日本にとってほんとうに大きなターニングポイントだと思う。」

彼によれば、世界の歴史を変えた9/11と似ているという。小説家としての視点からは、9/11は事実でありえないほどの「奇跡的な出来事」だという。「二機の飛行機がビルに突入するビデオを見た時、奇跡のように感じられたんです。美しいというのは問題のある発言だけれども、そこには美というものが存在していた。恐ろしく、悲劇だけれども、美しくもあった。完璧すぎるように感じられた。ほんとうにそんなことが起きたなんて信じられなかった。時々、二機の飛行機はビルに衝突しなかったら、世界はいまとはずいぶん違ったものになっんじゃないかと考えます。」

村上よれば、日本が進めている改革は、多くのものを失い、さまざまな事柄を疑問にさらす決算のようなものだ。彼自身の優先順位は単純だという。例えば、彼はお金をどれだけ持っているのか知らないという。「つまり、リッチだとしたら、お金について考えなくていいというのがいちばんいいことなんです。お金で買えるいちばんいいものは、自由や時間です。一年間でいくら稼いでいるか知らないし、想像もしたことがない。税金をいくら払っているか知らないし、税金について考えたくもない。」

しばらく間があった。

「哀れなものだよね。僕の口座は妻が管理していて、なにも教えてくれないんだ。僕は、ただ働いている。」

彼は妻をほんとうに信頼している!「結婚してから40年ちょっと経つ。彼女はいまでも友人なんだ。いつも話をしているし、僕を助けてくれる。僕の本についてアドバイスをしてくれるし、彼女の意見は尊重しているんだ。時には喧嘩をする。彼女の意見は厳しすぎることがあるから。でもそれはそれでいいんだ。」

おそらく、彼はそのことを必要としているのだろう。

「たぶんね。編集者が同じことしたら、怒り狂っていると思う。」村上は肩をすくめた。「編集者なしでやっていけるけれど、妻なしではやっていけないな。」

彼の父親は二年前に亡くなり、母親は存命である。彼は、両親が小説家として成功したことを喜んでほしいと思っているけれど、いまだに懐疑的である。彼には慰めとなるものがある。彼はハワイのランニングクラブの最古参のメンバーだ。毎日、ランニングをして、執筆をする。継続性がすべてだ。「本を読むのが好きで、音楽を聞くのが好きだ。レコードを集めてる。猫も好きだ。今は猫を買っていないけれど、散歩しているとき猫を見ると幸せだよ。」