ミツバチと保守主義とピースミールエンジニアリング

ローワン・ジェイコブセン「ハチはなぜ大量死したのか」を読んだ。
この本は、アメリカで発生したミツバチが大量に失踪してしまう蜂群崩壊症候群(Colony Collapse Disorder、CCD)の原因を追求したサイエンス・ノンフィクションである。
日本でも、ミツバチ不足が話題になっている。これは、日本の養蜂業はオーストラリアからの輸入ミツバチに依存しているが、オーストラリアでCCDが広範に発生したため、ミツバチの輸入が滞ったことによるという。
CCDの原因に対して、さまざまな研究が行われていて、さまざまな仮説が提唱されているが、これ、という一つの原因を特定することができないのが現状のようだ。
蜂蜜のありかを伝えるミツバチのダンスは有名だが、ミツバチのコロニーは実に精妙なシステムを構成しているという。個々のミツバチに知性がある訳ではないが、コロニー全体としては知性がある(かのように見える)。ジェイコブセンは、個々のミツバチを脳細胞、全体としてのコロニーを脳に例えている。
ミツバチのコロニーは優れたシステムだけれども、一方で、精妙ゆえに歯車が少し狂っただけでそのシステムが崩壊してしまうという。現代の養蜂業はミツバチにさまざまなストレスを与えており、その結果として精妙なシステムが崩壊してしまっている、というのがジェイコブセンの仮説である。ストレスの原因は多様であり、そのどれかひとつが特定の原因として指摘することができないと考えている。
ミツバチにはダニが寄生している。これを殺すために殺ダニ剤がコロニーに撒かれている。その結果、殺ダニ剤に耐性のあるダニが生まれ、次々と新しい殺ダニ剤を使うことになる。もちろん、殺ダニ剤はミツバチを直接殺す訳ではないけれど、ストレスになっているのは間違いない。
養蜂家はさまざまな作物が花を咲かせる時期にミツバチを放つ。その時、農薬が散布されればミツバチは死んでしまうから、農薬が散布される時期を避けてミツバチを放つ。しかし、植物の体内に浸透する「浸透性農薬」が普及するようになった。これによって、大量に農薬を散布する必要がなくなり、また、農薬としての薬効も穏やかなため、農薬の環境への影響を抑制することができるが、養蜂家にとっては農薬が散布される時期を避けてミツバチを放つことができなくなり、これもミツバチにとってのストレス源となっている。
また、中国からの安い蜂蜜の輸入によって、アメリカの養蜂家は蜂蜜生産によって生計を立てることが難しくなった。一方、カリフォルニアでアーモンドの栽培が盛んになった。アーモンドは昆虫で花粉を交配させる必要があるが、モノカルチャー農業を行なっているカリフォルにはでは十分な昆虫がいない。このため、養蜂家からミツバチを高額でレンタルする。しかし、アーモンドの交配時期は、本来ミツバチのコロニーが冬眠している時期である。その時期にミツバチを活性化させるために、コーンシロップの餌を与え、冬眠しているはずの時期にミツバチを人工的に活動させるように調整している。もちろん、これもミツバチにストレスを与える。また、カリフォルニアまでの長距離の輸送もミツバチにとって楽なことではない。
筆者のジェイコブセンは、この事態に対処することができた有機養蜂家のカーク・ウェブスターの方法を紹介する。

 ウェブスターはテクノロジーそのものを毛嫌いしているわけではない。科学的な方法が多くの進歩をもたらしたことも理解している。けれども、それが常に最良のアプローチであるとは限らないことも知っている。比較試験では、一種類か二種類の要因を研究することができない。そのため、科学的な調査では問題を最小単位まで分類してから、一度に一つづつとりあげて、その要因をどうしたら操作できるか探ろうとする。その成果は小さなブロックに分けられた細切れの知識だ。
 けれども、無数の要因とフィードバックループを持つ複雑なシステムに関しては科学的調査は白旗を掲げて降参するべきだ。…私たち人間は、何かを知り、それを制御することにこだわり、世の中と直感的に結びつくことを軽んじる。けれども、システムと調和して生きるには、そのシステムを征服する必要などないこともあるのだ。

 ウェブスターはエッセイの中で、こう説明している。「私は、健康のあらゆる要素、すなわち持続性、復元力、多様性、生産性が、機能して発展できるようなシステムを設計しようとした。そのメカニズムが解明されているかいないかは問題ではなかった。自然は私たちを大きく超えた存在だ。自然のやりかたを妨げないことが、私たちとミツバチ双方にとって、将来の鍵を握っている」。後に彼は、次のように付け加えた。「私たちが自然のすべてを理解することは決してないだろう。けれども、自然の慈悲深い心配りと庇護のもとで暮らし働くすべを学ぶことはできる。かつては、多くの人々がこうしてきた。今も将来も、私たちに同じことができないという理由はない。…」
(pp268-270)

このような環境主義的な思想と、保守主義自由主義の思想は相容れないことが多いと思われているが、私が共感しているハイエクのことばを読んでいると、かなり近しいところがあるのがわかる。以前にも何度か引用した部分だが、「市場・知識・自由」から紹介しよう。

誰も設計したのではなく、誰にも理由がわからないかも知れない社会過程の産物に、普通に従おうとする心構えもまた、強制をなくすべきであるならば欠くことのできないひとつの条件である。……慣習と伝統が人間の行動を大幅に予測可能にしている社会においてだけ、強制を最小限にしておくことが多分できるのである。(p29)
真の個人主義の根本的な態度は、いかなる個人によっても設計されたり、理解されたりしたのではないのに、しかも個々人の知性を越えるまことに偉大な事物を人類が達成した諸過程に対する、謙遜の態度である。(p41)

ウェブスターの思想の対象はミツバチという自然のシステム、ハイエクは人間社会という違いはあるけれども、根底にある考えは共通している。そのシステム全体は複雑でそれを人為的に設計したり、すべてを解明することはできない。しかし、システムを機能させる方法がないわけではない。人為的にシステムを制御できるという考えを捨て、そのシステムへの不自然な介入を最小限にすることが重要だと主張している。
ハイエクは社会を限られたエリートが設計、制御することができるとするデカルト、カント、ルソーの主知主義的な思想、マルクスの「科学的」社会主義を批判する。ウェブスターの批判の対象は、科学、工学の限界をわきまえないことである。ハイエクの盟友でもあるカール・ポパーは「歴主義の貧困」のなかで、科学技術が達成しうることがら、限界について次のように書いている。

 漸次的技術者(引用者注:ピースミールエンジニア)に特徴的な接近法は、次の点にある。すなわち彼は、「全体としての」社会に関する何らかの理想―おそらくその一般的福祉といったこと―を信じているかも知れないのだが、全体としての社会を設計し直す方法があるとは信じない。自分の目的がなんであれ、彼はそれを小さいさまざまな調性や再調整―つねに改善してゆくことが可能な調性―によって、達成しようと努めるのである。…漸次的技術者はソクラテスのように、自分の知ることがいかに少ないかを知っている。彼はまた、わらわれが自分たちの誤りを通じてのみ学びうる、ということを知っている。したがって彼は、予期した結果と達成された結果と綿密に比較しながら、一歩また一歩と自分の道を歩み、どのような改革についても避けることのできない望まれざる諸帰結、というものにつねに注意を怠らない。そして原因と結果を解きほぐすことを不可能とするような、また自分が本当は何をやっているのか知ることが不可能となるような、多大な錯綜性と規模とをもつ改革はくわだてようとはしないであろう。
(pp106-107)

夢も希望もない話だろうか。私はウェブスターやハイエクポパーのように、人間が理性によってすべてを知ることはできないと思っている。そのなかで前進するためには、試行錯誤しかない。過去の試行錯誤の結果の集積である伝統を配慮し、また、人間が考えた対策も常に試行錯誤のテストにかけつつ、そして、副作用に注視しつつ進んでいくしかない。
すべてを解決する魔法の杖はない。

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

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市場・知識・自由―自由主義の経済思想

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歴史主義の貧困―社会科学の方法と実践

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