日本はなぜ無差別爆撃されたのか

NHK東京大空襲を振り返る番組をやっていた。
客観的に見て、一般市民の大量殺害を企図した作戦を立案し、住宅地を爆撃したという意味では、東京大空襲と広島長崎への原爆投下は、戦争の歴史を振り返っても空前絶後の残虐な行為だと思う。
日本軍による残虐な行為は正当化できないという意味で東京裁判を否定するものではないけれど、東京大空襲や広島長崎への原爆投下が「人道に対する罪」とされなかったという意味でやはり東京裁判は勝者が敗者を裁く一方的なものだったと思う。
アフガニスタンでアメリカ軍の軍曹が一般市民を個人的に虐殺した事件が発生し、大きな問題となっている。これは、戦闘行為ではなく、純粋な犯罪行為であるけれど、戦闘行為であれば一般市民の組織的な殺害は正当化しうるのだろうか。
第二次世界大戦後、これほどの規模で一般市民を組織的に虐殺することを目的とした作戦行動、戦闘行為や核兵器の使用は行われていないところを見ると、現在では倫理的に許しがたい行為とみなされているのだと思う。もちろん、ソンミ村の虐殺のような先進国の軍隊による虐殺行為や内戦における虐殺、民族浄化といった行為は行われているけれど。
しばらく前、石原莞爾は日本への原爆投下を予見していたことを紹介した。

  • 「一見は百聞に如かず:石原莞爾「世界最終戦論」」(id:yagian:20120225:1330169639)
  • 「一見は百聞に如かず:石原莞爾「世界最終戦論」(続)」(id:yagian:20120225:1330848295)

大量殺戮の倫理性は別として、石原莞爾による戦争の変化についての説明はわかりやすい。
国民国家が成立する前、ヨーロッパでの戦争は主として領主に雇われた傭兵によって行われていた。傭兵は戦争のプロだからお互いを殲滅するような戦闘は避けるし、領主もわざわざ雇用した傭兵を損耗するような戦闘を避ける。戦争は持続的になり、主として政略によって決着する。
一方、フランス革命後のフランスでは、国民が国家を所有しているという意識が芽生え、徴兵制が成立する。徴兵された兵士は傭兵のような戦争のプロではないけれど、愛国心に燃え、士気が高い。また、大量の兵士を動員することが可能になった。このような条件が背景となって、ナポレオンは短期間で決戦戦争を戦いヨーロッパを席巻した。
しかし、機関銃という防御力が高い兵器の発明で、国民国家同士の戦争も持続的になった。その典型が第一次世界大戦石原莞爾の用語を使えば、第一次西欧大戦)だという。
その次の時代の戦争、つまり世界最終戦争においては、航空機と新たに開発される決戦兵器によって、再び決戦戦争になるという。領主が雇った傭兵から一般の国民が徴兵されるようになったように、前線の兵士だけではなく、航空機を使って背後の一般国民も攻撃の対象になるようになるという。そして、航空機によって圧倒的な破壊力のある兵器を用いて攻撃できるようになると、一般国民に大打撃を与えることで戦争が決着するという。そして、そのような「最終戦争」によって決着がつくと、それ以上全面的な戦争はありえないから戦争がない時代がやってくると主張している。
確かに、東京大空襲や広島長崎への原爆投下は、まさに石原莞爾が指摘した「最終戦争」そのもので、その後、核兵器の実戦での使用が行われていないという事実は、「戦争がない時代」になったということを意味している。
皮肉なことに、正規軍とその他の国民という区別がなくなる、という指摘は正しかったが、今度は、兵士が国民のなかに紛れるようになる。一方ではゲリラ、一方ではテロリストと呼ばれる戦闘員が現れた。彼らは一般国民と区別することが難しい。東京大空襲や広島長崎への原爆投下は非戦闘員を目標とした大量虐殺だが、ゲリラ、テロリストを対象とした戦闘では、彼らとの誤認した結果一般市民を殺害したり、一般市民が含まれていることはわかった上でまとめて殺害しようとしたりする。ソンミ村の虐殺は後者である。
東京大空襲や広島長崎への原爆投下の戦争史上の位置づけがわかったとしても、なぜ実際にアメリカ軍が日本に対してそのような戦術を実施したのか、決定し得たのかまではわからない。純軍事的に言えば、沖縄戦の経験を踏まえると日本本土で戦闘するのはアメリカ軍にとっても悪夢だったに違いない。いわば手を汚さずにできる空爆で日本を屈服させることができればそれに越したことはない。また、軍事施設、軍需産業、鉄道、発電所などのインフラへの爆撃だけでは、戦力を削ぐことはできても、日本軍に本土決戦を断念させることはできないということはわかっていたのだろう。
しかし、民主主義国家でもあるアメリカになぜ、「最終戦争」である凄惨な攻撃が倫理的に許されると考え、その決断ができたのだろうか。
現代では、一般人への組織的な爆撃ではなく、指導者、例えばカダフィ大佐フセイン大統領などをピンポイントで狙った攻撃や、オサマ・ビン・ラディンの暗殺などが行われる。しかし、第二次世界大戦では天皇をターゲットにした爆撃は行われていない。もっとも、天皇が爆撃の犠牲になったとしても、日本が屈服した保障はないが。
おそらく、東京大空襲や原爆投下の決定にいたった研究はあるのだろう。それを参照してみたいと思う。

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

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戦争史大観 (中公文庫BIBLIO)

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