宗教と矛盾

Facebookの自己紹介欄に「宗教」という項目がある(http://www.facebook.com/yagian/info)。別に書かなくてもいいのだけれども、あえて書いた方がおもしろいように思うので、自分の宗教ってなんだろうかとあえて考えてみた。

普通の日本人として、私はいわゆる「宗教」は信じていない。不可知論者の正確な意味はわからないけれど、たぶん不可知論者という訳ではないと思う。単に宗教を信じていないだけで、積極的に宗教を否定している訳でもない。

仏教哲学には親近感を感じるが、ブッダは単なる人間だと思っているし、彼の聖性を受け入れている訳ではない。一方、アニミズム的な感覚はあり、神社にお参りしているが、近代科学の成果も受け入れている。

そんなことをあれこれ考えてみて、結局、宗教の項目に「アニミズム」と書いた。

ユダヤ教キリスト教イスラームなどの一神教の立場からは、多神教アニミズムは原始的な信仰に見えるのだろうけれど、逆に、アニミストの目から見ると、現代社会においてキリスト教者はどうしてキリスト教を信仰できるのか不思議に思う。近代科学は、キリスト教の教義を否定しているから、どうやって近代科学とキリスト教を調和させているのだろうか。

アニミズム信者の観点からは、身近な自然や自然現象に一種の神性を感じるのは「自然」な感情のように思えるが、2000年前の中東のカルト教団の教祖にそこまで感情移入できるのか不思議でもある。

また、キリスト教の教義は非常に矛盾しているように見えるから、理解することは困難である。キリスト教でいちばん不思議なのは、三位一体である。

イエスっていったい誰?全能の神の息子ってどんな存在なの?イエスは彼は神の子だったことは知っているの?磔刑されたとき、神が彼を助けるということは知っていたの?もし知っていたとしたら、磔刑は試練ではなくなる。しかし、知らなかったとしたら、イエスの神性に疑問を感じる。結局復活した後彼はどこに行ってしまったのか。

マンガの「ピーナッツ」のなかで、ライナスがルーシーにイエスに関する素朴な疑問を発していた。キリスト教について不思議に思っているのは私だけではないのだろう。

イスラームは、キリスト教より合理的である。彼らは、神の子や三位一体という考えを否定する。なぜなら、神は唯一の存在であり、三つではないからだ。

私は反進化論に同意はしないけれど、キリスト教を信じている人が反進化論を信じるという理由は理解できる。ある意味、論理的である。野蛮なアニミズム信者として、私は明らかに矛盾しているキリスト教と進化論を同時に受け入れるということが理解できない。

しかし、どんな宗教の教義も矛盾を含んでいる。もし矛盾がない宗教があったとしたら、人々はそれを理解することができ、信じる必要がなくなる。私にとって仏教はこの意味で宗教ではない。

一方、キリスト教は矛盾を含んでいるから、キリスト教徒はキリスト教を理解するのではなく、信じなければならない。この意味で、キリスト教イスラームよりより宗教的だ。

人間はこの世界のできごとの理由を知りたいと思う。しかし、人間の目からはこの世界は理不尽なできごとに満ち満ちている。宗教の機能が世界の理不尽さを受け入れることであれば、その教えは理不尽であり、その理不尽さをそのまま信じることが宗教の宗教たるゆえんなのかもしれない。

アニミズム信者の私にとって、読み物としての聖書がおもしろいところのは、矛盾しているところでもある。福音書をまじめに読むと、疑問百出なのだが、その疑問に感じるところが自分の感情にひっかかるところでもある。

近代科学とキリスト教の矛盾を矛盾のまま受け入れること、それが近代的なキリスト教の意義なのかもしれない。