リスナーにとってはいい時代になったと思う

四人囃子のベーシストで音楽プロデューサーである佐久間正英が書いたウェブログが反響を呼んでいるようである。

「音楽家が音楽を諦める時」
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
「昨夜の投稿の追加文」
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-6.html

彼の言いたいことを彼自身のことばを借りて要約するとすれば、「ただ現実を鑑みるとプロとしてある部分を”諦めて”前に進むしか無い残念な状況ではある、と言う話しです。」ということになるのだと思う。
私は音楽のただのリスナーで、職業的に音楽に関わったこともないし、趣味で音楽を作ることもない。しかし、バブル崩壊とインターネットの普及によって、音楽に限らずさまざまな「クリエイティブ」な業界の作り手にとっての環境が激変し、まさに「ある部分を"諦め"」なければいけなくなったのだろうということは容易に想像できる。
佐久間正英のエントリーに対して、いくつか反論が書かれているようだ。

「金がないから「いい音楽」作れない?〜ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状」
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/

このウェブログの筆者であるかさこさんという方は、作り手にとっての環境の変化についての認識は佐久間正英と共通しているのだが、それを嘆いている佐久間正英に対し、環境の変化は与件なのだから現役の「クリエーター」はそのなかで音楽をつくることを考えるべきで、「嘆いている」ならばさっさと退場しろ、と言っている。
佐久間正英ウェブログ上で「嘆く」ことは別段問題だとは思わないけれど、現在の与件の中で格闘している「クリエーター」から見れば腹立たしく感じられるということは理解できる。
一方、岩崎夏海さんは、なぜ音楽市場が縮小したのか、リスナーの立場から考察している。

「音楽業界はなぜ縮小したか?」
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120623/1340426744

岩崎夏海さんは、リスナーの体験を振り返り、ポップ・ミュージックから「生活必需品性」「情報性」「ファッション性」が失われたから音楽業界が縮小したのではないかと書いている。
上にも書いたように、私自身は一リスナーなので、「クリエーター」の立場は想像することしかできないので、岩崎夏海さんのようにリスナーの立場からポップ・ミュージックの変遷について書いてみたいと思う。
自分の音楽体験を振り返ると、もっとも熱心に音楽を聴いていたのは高校生から大学生だった1980年代である。就職して音楽を追いかける時間が限られるようになったこと、ポップ・ミュージックの主流がヒップホップになったことが大きな理由で、音楽から離れるようになった。しかし、インターネットのamazoniPod、iTune、youtubeなどを通じて、音楽にアクセスすること環境が激変し、いままたかなり熱心に音楽を聴くようになっている。
おそらく、これらの事象は、佐久間正英さん、かなこさんが語っているように「クリエーター」の環境の激変の原因の大きな要素だと思う。「クリエーター」にとっては予算の激減という形で「マイナス」の影響を与えているのだろうけれど、リスナーにとっては「プラス」の影響がきわめて大きい。岩崎夏海さんが書いているように、CDの売上という尺度で測った音楽業界は縮小しているのかもしれないけれど、リスナーにとってはいまは決して悪い時代ではないと思う。
1970年代から1980年代のポップ・ミュージックの状況を振り返ってみると、主な媒体はテレビ、ラジオ、レコード(新譜、貸レコード)、ラジオからのエアチェックと貸レコードから録音したカセットテープの貸し借りだったように思う。
この時代はヒット・チャートが全盛で、テレビでは「ザ・ベストテン」と「ベスト・ヒットUSA」を欠かさず見ていたし、ラジオでもヒット・チャート番組が多かったように思う。いまでもJ-Waveでは「Tokio Hot 100」をまだ放送しているし、いちおうオリコン・チャートも存在しているけれど、少なくとも私はまったく関心を持っていないし、持っている人もすくなかろうと思う。
インターネットでさまざまな音楽にごく簡単にアクセスできるようになった現在から振り返ると、このヒット・チャート・システムは、テレビやラジオの放送時間、レコード店、貸レコード店の棚の容量が限られていたことに立脚したものだということが理解できる。
ずっと同じ曲を放送し、レコード店の棚にならべていたのでは、売上は伸びない。レコード店の棚にならべるレコードは定期的に入れ替えて、同じ音楽ファンが違うレコードを買ってもらうようにしなければならない。だから、ヒット・チャートというものを作り、集中的にテレビやラジオで放送して消費者の関心を煽り、それを限られたレコード店、貸レコード店の棚に並べて売る、というシステムだったと思う。
もちろん、ビートルズのようにファンなら必聴という「クラシック」的な扱いを受けるレコードもあって、それらは大きなレコード店に行けば入手できたけれど、業界としてのポップ・ミュージックの主流はヒット・チャート・システムに乗って、数か月のヒット期間で消費され投資を回収できる「商品」だったと思う。あまたの「商品」は消費されて消えて行くけれど、ごくまれに「クラシック」となる「作品」もある。また、ヒット・チャート・システムには乗らなかったけれど、長い時間をかけて「クラシック」となる「作品」もある。これは、ポップ・ミュージックに限らず、いわゆる「大衆文化」の世界では共通の現象だと思う。
日本の音楽業界がいちばん拡大した時代、小室サウンドが全盛でミリオンセラーが連発されていた頃には、リスナーとしての私はその当時の音楽にはほとんど興味が持てず、同時代のポップ・ミュージックから離れていた。「生活必需品性」「情報性」「ファッション性」がある商品としてのポップ・ミュージックの消費者ではなかったのだと思う。
しかし、その当時、大型CDショップが増え、以前に比べて品揃えのバラエティが飛躍的に拡大した。かつてはヒット・チャートの音楽と一部の限られた「クラシック」だけだったのが、よりマニアックなCDもより容易に買えるようになった。いまでも1970年代アメリカのポップ・ミュージックがいちばん好きなのだけれども、たまに大型CDショップに行ってその頃のLPがCD化されると買う、ということをしていた。
そして、amazonでCDが買えるようになり、かつてはポータブルのCDプレイヤーやMDプレイヤーで音楽を聴いていたのが、iPodになって自分の持っているすべての音楽を持ち運べるようになり、気になった音楽はすぐにyoutubeで確認でき、iTuneでその場で購入できるようになった。
かつては、テレビ、ラジオ、レコード店といった音楽提供側の都合で限定されていたポップ・ミュージックの楽曲が、自分の趣味で選ぶ自由が飛躍的に拡大した。かつては、ヒット・チャート・システムに乗らない音楽に触れることはハードルが高かったけれど、いまではマイナーな音楽や、過去のヒット・ソングであっても簡単に検索してアクセスすることができる。だから、「新曲」も過去何十年間蓄積されてきた世界中のポップ・ミュージックも自分の選択で自由に聴くことができるようになった。
この状況は、リスナーにとってはすばらしいことだと思うし、一方で、すでに減価償却が終わってしまった過去のポップ・ミュージックと競争しなければならない現代の「クリエーター」にとってはきわめて厳しい状況だと思う。
そういう意味で、現代の「クリエーター」にとっては、「録音された楽曲」で儲けるということは諦めたほうがいいのではないかと思う。
いわゆる「クラシック音楽」も、その発祥の時代のように貴族が室内楽を楽しんでいた時代と違って、大人数のオーケストラを編成して多くの聴衆を集めるという意味では一種のポップ・ミュージックだと思うけれど、この世界では以前からヒット・チャート・システムは持っていなかったし、毎週「新曲」が発表されるということもなかった。レコード、CDといった「録音された楽曲」の販売もしているけれど、ビジネスの中心は「コンサート」というライブである。
いま、ポップ・ミュージックでもいわゆる「ビッグ・アーティスト」は巨大なライブで収益を確保していると聞く。ポップ・ミュージックでも現役のミュージシャンにとって、録音、録画された音楽は希少性がなくなっているのでそこで収益を上げるのは難しい。ライブのためのプロモーションの手段と考えればよいと思う。
また、マネタイズという意味では「録音された楽曲」の販売やライブに限る必要はない。実際、ヒップホップのスターJay-Zは、音楽よりは彼のファッション・ブランドの収益が多いとも聞く。しかし、彼の音楽活動がなければファッション・ブランドは売れないわけだから、音楽活動のマネタイズの方法の一つだと思う。