独裁的な政権による秩序か、民主的な政権による混乱か

混迷が増すシリアの情勢と日中戦争下の中国の情勢

今回もアメリカとロシアと停戦交渉が破綻し、アサド政権とロシアによるアレッポへの爆撃が激化している。

シリア内戦は、国内のさまざまな勢力がそれぞれ外国と結びつき、混迷が増している。ある種のバランスが成り立ち、膠着しているとも言える。だから「解決」は遠いように見える。

このシリアの情勢を見ていると、日中戦争下の中国の情勢とよく似ていると思う。

その当時の中国では、国内は国民党(国民党自体も軍閥の寄せ集めで勢力争いが錯綜していた)、共産党軍閥が争っていた。国民党をドイツ(後に支援を打ち切る)、アメリカが支援し、共産党ソ連が支援する。ソ連共産党に国民党と協力して対日抗戦をすることを指示し、その過程で国民党へ支援することで影響力を持った。日本は軍閥と提携しつつ、満洲から中国へ侵略する。国民党内で蒋介石に不満を持ち、対日講和を構想していた汪兆銘に傀儡政権を設立させる。

結局、日本は第二次世界大戦に破れ日中戦争は終結するが、その後、国民党と共産党による内戦が続く。日中戦争は1937年に始まり、1945年に終わる。第二次国共内戦は1949年まで続くから、12年間になる。さらに、第一次国共内戦が始まった1927年から数え始めれば、中国本土では22年間も国民党と共産党が関係した戦闘が続いていたことになる。

シリア内戦は2011年から始まっているから5年続いている。まだ、内戦が終わりそうな気配はない。

独裁的な政権による秩序か、民主的な政権による混乱か

内戦で混乱した地域に介入するとき、独裁的な政権であっても秩序を確立することを優先すべきか、あくまでも民主的な政権の確立を目指し一定期間の混乱には目をつぶるべきか、という一種究極の選択がある。

アメリカを中心とした西側諸国は、アサド政権による独裁は容認できないと考え、いわゆる「反政府勢力」を支援している。一方、ロシアは「民主的な政権の樹立」より自らの影響力のある政権が秩序を確立することを目指し、アサド政権を支援している。

イラク戦争でアメリカは、独裁者のフセイン政権を打倒し民主的な政権の樹立を目指したが、形式的には選挙は実施されているけれど、実態は民主的にはほど遠い。シリアの反政府勢力も、必ずしも民主的なシリアを目指しているように見えないから、仮にアサド政権を打倒できても民主的なシリアが成立しそうにない。

また、アメリカも独裁的な政権を支援している場合もある。最近は関係が悪化しているが、どうみてもサウジアラビアは民主的な政権ではないが、同盟関係にある。たしかに、サウジアラビアイラク化、シリア化すればその混乱の影響はきわめて大きい。

アメリカによる蒋介石の支援の是非

しばらく前のエントリー(「旅先で本を買う」)で紹介したRana Mitter "China's War with Japan 1937-1945 The Struggle for Survival"に、アメリカ政府内で蒋介石の国民党政権を支援することの是非に関する議論が書かれている。

アメリカ政府は蒋介石政権が独裁的だということは認識していた。その当時は「民主的」に見えていた共産党を支援すべきだという意見や、蒋介石政権を支援することの条件として民主化を求めてはどうかという意見もあったという。特に後者は現在のアメリカでもよく見かける意見だろう。

重慶に駐在していた米国大使ネルソン・ジョンソンは、蒋介石政権が当面民主化する見込みはないけれど、抗日戦争のためにアメリカは蒋介石政権を支援すべきと強く具申していた。

蒋介石は、枢軸国である日本と実際に戦争している当事者であるにもかかわらず、自らは戦争をしていないアメリカの支援が不十分なことを不満に思い続けていたようだ。そして、日本を始めとする枢軸国とアメリカが開戦することを待ち続けた。

結局、アメリカは日本と開戦し、屈服させた。しかし、国民党は共産党に破れ、共産党が独裁的な政権を作ることで内戦が終結するという、アメリカの考えとは大きく違った形で中国の戦争、内戦は決着することになった。

 

China's War with Japan, 1937-1945: The Struggle for Survival

China's War with Japan, 1937-1945: The Struggle for Survival

 

 

 

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それでは教訓は

それでは、このような歴史からどのような教訓が導き出せるのだろうか。正直よくわからない。

おそらくシリア内戦もアメリカが望むような形で決着するとは思えない。しかし、だからといって、ロシアとともにアサド政権を支援することでシリアに「恐怖の秩序」をもたらすことが望ましいとも思えない。望むような形で決着できそうにないからといって影響力を行使することを諦めることが正しいのかわからない。その時、より望ましいと思うことをするしかないのだろうか。

力と正義の間の究極の選択の間で揺れ続けることになるのだろう。

 

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