なぜトレーニングは苦しいか

なぜトレーニングは苦しいのか

最近、定期的にジムに通ってウェイトトレーニングをしている。

ウェイトトレーニングによって次のようなステップを経て筋肉量が増大するらしい。

  • 一定以上の負荷(負荷の量についてはいくつかの説があるらしい)をかけたウェイトトレーニングを行う
  • トレーニングによって筋肉組織が破壊される
  • 筋肉組織が回復する時、回復前に比べより大きな筋肉になる(「超回復」という)
  • このサイクルを繰り返す

最初のステップ「一定以上の負荷をかけたウェイトトレーニング」は、正直言って苦しい。しかし、苦しいぐらいの負荷をかけないと「超回復」のサイクルに入れないらしい。

私の場合は、健康維持のためのトレーニングだから、ほどほどに成果があればよいけれど、それでも苦しい思いのするのだったらそれ相応の効果がほしいと思う。アスリートであれば、よりその思いは強いだろう。そう考えると、彼らに対して、トレーニングの効果を増大させるドーピングの誘惑は強力なんだろうなと想像する。

しかし、考えてみれば、なぜ、筋肉を増大させるためにわざわざ苦しい思いをしなければならないのだろうか。子供から大人に成長するときは、別にトレーニングをしなくても自然に身体は大きくなる。苦しまずに筋肉を増大させる(ドーピングは別として)健康的な方法はないのだろうか。

採集狩猟生活に適応した身体

以前、ダイエットに関するエントリーを書いた。その時、現代人の身体はまだ採集狩猟生活に適応しており、農耕開始以降の生活と身体の齟齬の結果が肥満である、という考え方に基づいてダイエットを考えてみた。ウェイトトレーニングも同じ考えが当てはまるように思う。

yagian.hatenablog.com採集狩猟生活において、食料の入手は不安定であり、食料の保存技術も未発達だったから、飢餓状態への対応が非常に重要になる。そのため、食料があるときには、その時の必要量以上を摂取するような食欲がわき、過剰なカロリーは脂肪の形で蓄えられ、飢餓に備える。農耕生活では安定してカロリーを摂取できるようになったため、本能に従って食欲のままに食事を摂ると過剰な脂肪が蓄積される、つまり肥満になる。

ダイエットのためには、摂取カロリーを制限したり、有酸素運動でカロリーを消費するだけではなく、筋肉を増やすことが有効だと言われている。筋肉量を増やせば、平常時の代謝が高まり、それだけカロリーが消費されるようになる。

このことを採集狩猟生活の観点から見ると、過剰な筋肉は飢餓への耐性を下げる危険があるということだ。だから、採集狩猟生活を生き抜くためには、筋肉は必要最小限にしておくことが適応的である。

必要な筋肉をつけ、不要な筋肉を削ぎ落とすために、人間の身体は、高頻度で強度が高い負荷がかかる運動をした筋肉は大きくし、運動をしていない筋肉は衰えるようにプログラムされているのだと思う。採集狩猟生活において、筋肉はかなりの贅沢品だ。だから、それを大きくするためには苦しいほどのトレーニングが必要になる。

そう考えると、もし人間の自然なメカニズムにしたがって筋肉を大きくしようとすると、苦しいトレーニングは不可避のように思える。

暗記と記憶総量の制限

同じようなメカニズムは暗記にもあるように思う。

今、語学の学習でボキャブラリーを増やすために、単語の暗記をしている。しかし、単語の記憶を定着させるためには、繰り返しのトレーニングや実際にその単語を使う体験をする、といったことが必要だ。ウェイトトレーニングの苦しさに似ている。

人間は、必要なことは記憶するが、不要なことはなるべく記憶しないようにプログラムされているのではないだろうか。

映画「レインマン」で取り上げられていたサヴァン症候群の人を見ていると、人間の脳の生理的な限界、という意味では、いまよりはるかに大量の記憶はできるように見える。しかし、大量に記憶をしてしまうサヴァン症候群の人は、社会生活を営むことが難しい。つまり、サヴァン症候群ではない一般の人は、脳の生理的な限界の手前で記憶料を制限するメカニズムが働くことで、社会生活を容易にしているのではないか。

必要な記憶と不要な記憶を選別するメカニズムとして、繰り返し触れることがらが記憶に定着する。人間が必要な筋肉を選別するメカニズムを利用する形でウェイトトレーニングの方法があるように、記憶を選別するメカニズムを利用して暗記という行為があるのだろう。

結局、筋肉を大きくすることも、単語を暗記することも、一定程度の苦痛が必要になる、という結論に至ってしまった。