苦手なことに挑戦する

そして苦手なことが残った

ここ数年体調がよいこともあり、いろいろなことに挑戦している。フィジカルに関する挑戦とインテリジェンスに関する挑戦に大別できる。

フィジカルに関する挑戦としては、ランニング、トレーニングによる身体づくり、ゴルフがある。ランニングでは、今年のはじめにハーフマラソンを完走し、今年の後半にはトレイルランに挑戦する計画だ。トレーニングでは、タンパク質をしっかり摂取しながらジムに通って筋力トレーニングをしている。ゴルフは、ここ数年来、100を切ることを目標にしていて、今は個人レッスンに通っている。

インテリジェンスに関する挑戦としては、語学(中国語、英語、広東語)と会計の学習をしてきた。会計は簿記二級に合格して一区切りがついた。語学は毎日少しずつ学習している。

今年に入って感じていることは、自分が得意で比較的かんたんに上達できる分野は概ね目標を達成してしまい、残されたのは、苦手な分野だったり成長のスピードが鈍ってきたりで成果や成長実感が感じにくい分野ということだ。

英語でいえば、リーディングやリスニングは比較的得意なので、TOEICは高得点が取れた。今は、苦手なスピーキング(発音や会話など)に取り組んでいるが、そもそも自分の能力の現状にがっかりするし、上達も遅々として進まない。

中国語も、初級の間は上達が見えやすいし、ちょっと通じただけで楽しいけれど、最近ではそろそろ中級に入り、本格的に語彙を増やさなければならない段階になり、これも短期的には上達を実感することが難しい状況にある。

トレーニングをしていても、多少は体型が変わった実感はあるが、変化は微々たるものだし、より重い重量が持ち上げられるようになったわけでもなく、体組成計で計測した筋肉量はあまり増えていない。年齢や体質を考えると、筋肉がつきにくいのだろう。

ゴルフも、徐々にフォームの改善は進んでいるようだが、フォーム改善の途上にあるので、まだ芯にあたる確率が高まるところまでは行かないし、飛距離もさして伸びていない。

成長実感を動機に使えない辛さ

なにかに挑戦する時、これまでできなかったことができるようになる、ということがいちばん楽しい。そして、それが動機となって取り組みに熱が入って、さらに新しいことができるようになる。こういう好循環に入ることができれば、楽しい上に成果があがって言うことはない。

しかし、こういう好循環が永遠に続くことはない。収穫逓減の法則によって、成長スピードは鈍化する。やってもやっても成長が実感できないと、挑戦することが苦しくなってくる。しかし、一方で、時間をかければ少しずつでも成長できるはずだという思いもあり、かんたんに投げ出す気持ちにもなれない。

挑戦そのものを楽しむこと

「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎の主張には共感することが多い。彼は、高齢になってからの「挑戦」について、次のように語っている。

アドラーがいうところの「不完全である勇気」を持てないからです。新たなことに挑戦すると、「できない自分」「不完全な自分」であることが露呈するかもしれない。そんなことにはとても耐えられないから、高齢であることを理由に、初めから「できない」と決めつけてしまうのです。

…歳を取ってから行う勉強では、目標や到達点を設定する必要がありません。第三者による評価や時間の制約から離れて、自由に勉強できるわけです。勉強が手段ではなく目的になり、純粋に、学ぶ楽しさや喜びを味わうことができる。これこそが老いてから勉強することの醍醐味であり、それが生きる喜びにもつながっていきます。

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うまくできない、という不完全な自分を認めるのは、なかなか簡単ではない。それを認めたくないからこそ、成長することを目指して挑戦をし、成長したときの喜びが大きいという側面もある。

上記の通り、挑戦初期は上達するスピードが速く、成長実感を動機に利用できるが、それは徐々に鈍化してくる。そうなってくると、やはり「上達が遅い」という不完全な自分を認め、続けること自体によろこびを見出すようにシフトチェンジすることが必要になるのかもしれない。おそらく、そのようにシフトチェンジをして挑戦を続けることで、振り返ってみると結果として成長していた、ということもあるのだろう。もちろん、成長自体を目的としなければ、成長していなくたって挑戦のプロセスを純粋に楽しめばいい。

私の場合、ランニングはより速く、より長く走れるようになりたい、という成長意欲が強く、練習ではいつもタイムを計測しているし、目標とする大会にエントリーもする。一方、水泳では、成長意欲がなく、ただ泳ぐのが気持ち良いから泳いでいる。タイムを測ることもなく、自分が気持ちのいいスピードで淡々と泳いでいる。ランニングも時計を外して気持ちの良いペースで走るようになれるといいかもしれない。

私には、語学の学習そのものが好き、という気質はある。しかし、語学を習得することによって実用的に役立てたいという気持ちも当然ながらある。だから、上達は度外視して学習だけしていればうれしい、という境地にはなかなかなれない。好きでやるのであれば、得意分野だけをやっていればいいけれど、実用を考えれば苦手分野の補強も必要になる。

なかなか挑戦そのものを純粋に楽しむ境地には至れないことが多い。

得意分野に集中すること、辞めることも一つの選択肢だが

もちろん、誰かにやれと言われて挑戦している訳ではなく、自分が思い立って挑戦している。だから、いつ辞めても、困る人もいない。

だから、成長が鈍化した挑戦は辞めて、得意分野に集中することも人の選択肢ではある。しかし、なにか割り切れない気持ちになる。