チーオンが熱くなってきた

テラワーダ仏教の話を書いて思い出したことを書こうと思う。

大学の専攻は文化人類学だったが、その頃読んだ本の中でよく覚えているもののひとつに青木保「タイの僧院にて 」がある。

自宅の蔵書は、今ある本棚を溢れないようにしていて、定期的に整理して売っている。この本は、学生時代からの整理に生き残り今でも本棚に並べられている。

青木保は大先生だけれど、この本はまだ大先生になる前の若き青木保が「タイの僧院」で一時僧になったフィールドワークの記録である。

自分がテラワーダについて初めて知ったのはこの本はだったけれど、自分に限らずこの本を読めばテラワーダに共感すると思う。

この本のなかで印象に残っている言葉の一つに「チーオンが熱くなってきた」がある。「チーオン」とは僧衣のことで、出家者である僧侶が、自らが戒律を守れなくなってきたように感じたことを意味している。

タイのテラワーダの戒律は常識的で特別に厳しいものではない。それだからこそ出家者、僧侶は、戒律を厳密に守る。しかし、長年僧侶していると、その戒律を守ることが難しくなることもある。そのときは「チーオンが熱くなってきた」と言って還俗することで、戒律を守る。また、出家をすることもあるし、しない場合もある。

会社員生活も似ていると思う。会社生活は、一日も続かないほど厳しい訳ではない。しかし、長年続けていると「チーオンが熱くなる」ことがある。

そして、今また、チーオンが温まってきたという感覚がある。