裏切り

高校生以来だろうか、ひさしぶりに遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)(amazon:4101123152)を読んだ。
違和感を感じた。
というのも、パードレ・ロドリゴの信仰があまりにも脆弱に見えたからだ。
狡猾な長崎奉行井上筑後守の罠にかかり、信仰の問題に直面して転んだ、というようにはとても見えない。パードレ・ロドリゴは、捕らえられる以前から、キリシタンが弾圧されている様子をみて、神はなぜ沈黙しているのか、などという疑問を頭に浮かべている。そんなことでは、転ぶのも不思議がない。信仰が堅固なキリスト教徒であれば、人間である自分には理解できないが、それには神にとっては当然の理由があるはずだと考えるのだろう。
たしかに、パードレ・ロドリゴは、若く、経験のない司祭という設定だが、ここまで簡単に転ぶものだろうか。そもそも、司祭のようなプロフェッショナルなキリスト教徒が、「神の沈黙」というようなナイーブな問題意識を持つことがあるのだろうか。
江藤淳は『成熟と喪失』(講談社学芸文庫)(amazon:4061962434)で「ロドリゴは単に設定によってポルトガル人とされているにすぎず、彼の声は・・・作者の声と重ねあわされる」と語っている。同感である。
『沈黙』は、江戸時代のはじめの時代に日本に潜入した司祭たちをテーマにした歴史小説ではなく、遠藤周作という東洋のキリスト教徒の個人的な苦悩を告白した小説のように思える。それであれば、ある意味納得できなくもない。
神の沈黙という問題は、パードレ・ロドリゴにとっての問題ではなく、遠藤周作にとっての問題だったということではないだろうか。
裏切りというテーマであれば、グレアム・グリーンヒューマン・ファクター』(ハヤカワ文庫)(amazon:4150403422)の方がしっくりくる。近々再読しようと思う。