昭和の香り

今日、仕事は無事に終わり、広島からは予定通り飛行機で帰ってきた。台風一過の夏の青空のなか、揺れることもなく、順調な飛行だった。
つれあいが言うには、電車に乗ると、最近あまり嗅いでいなかった昭和の香りがするという。車内の冷房が抑えめで、昭和時代の電車のなかにただよっていた汗とほこりが混ざったようなにおいがしたという。
子供の頃には、電車に冷房車がなく、いまよりも混雑していた。電車に冷房が導入され、冷房車に乗れると「当たり」だと思っていた時もあった。地下鉄には冷房がなかった時期も長かったし、昭和時代には地下鉄が構内ごと冷房されるようなことがなかった。昭和は遠くになりにけり。
以前、石垣島へ旅行をしたとき、スポーツ大会に出場した小学生の大集団と一緒になったことがあった。石垣島の空港は、那覇の空港と大違いで、古くて田舎風の素朴な建物で、昭和風のたたずまいである。そんな建物の中で石垣島の空港で、小学生たちは、甘酸っぱくほこりくさい香り発散していた。昭和にタイムスリップしたようで、懐かしい気持ちになった。
これまでも、環境省地球温暖化対策の一環として、冷房の設定を28℃にするようにというキャンペーンをしてきたが、なかなか普及していなかった。しかし、これまでの地道な努力が実ったのか、今年の「チームマイナス6%」や、「クールビズ」といったキャンペーンがよかったのか、冷房を弱めに設定するところが増えてきているように思う。
昼間外を歩いていて、涼もうと思い、ファーストフードやチェーンのコーヒーショップに飛び込んだとき、以前であれば汗が一気に冷やされて肌着が冷たく感じられるぐらい冷房を効かせている店があった。身体にはよくなさそうだけれども、それが一種快く感じたりもした。しかし、今年は、そこまで冷房を効かせている店はあまりない。地球温暖化対策はともかく、店内でずっと働いている人からすれば、冷房が効きすぎなのはつらいだろうし、光熱費の節約になって都合がよいということもあるのだろう。
広島市内から広島空港へのリムジンバス、広島空港のターミナル、羽田空港までの飛行機の機内も、弱冷房だった。上着を持たなければいいのだけれども、たまに冷房がきついところもあって、上着は手放せない。今日のように出張で、しかも傘を持っているときは荷物が多いから、上着を手に持つのも面倒で、暑さをがまんして着ているとうっすら汗をかき、昭和の香りを発することになる。
私自身はスーツにネクタイという格好が好きなので、「クールビズ」のスタイルはしていないけれど、このキャンペーンは悪くないと思っている。
日本では、工場や発電所の効率化は進められるところまで進めているし、原子力発電所をどんどん増設するわけにもいかないから、いまからさらに温室効果ガスの排出を減らそうと思えば、一般家庭やオフィス、商業施設が省エネを進めるしかない。しかし、この分野は規制をするには手間がかかることもあって、省エネがなかなか進まない。実際にどれだけ省エネが進んでいるかわからないけれど、体感的にはオフィスや商業施設が自主的に冷房を弱めるというのは画期的なことだと思う。
地球温暖化対策という意味では、冷房の設定温度を高くすることが重要で、「クールビズ」というのはあくまでも手段である。しかし、「クールビズ」キャンペーンとともに冷房が緩くなっている現実を見ると、ばかにはできないと思う。政府がライフスタイルを変えることを提唱して、うまくいったためしがない。もし、「クールビズ」が定着したら、その意味でも画期的なことだと思う。
というのが、公的な「クールビズ」への評価だけれども、私的にも「クールビズ」は悪くないと思っている。
三十代も終わりにさしかかり、四十代に手がかかるような年代になってくると、服選びに困るようになってきた。スーツを選ぶのには困らない。さすがに、十年以上も着ていると、それなりにこなれていると思う。そんなこともあって、スーツにネクタイという格好が好きなのである。しかし、カジュアルな服を選ぼうとすると、なかなか気に入る服がなくて困ってしまう。
この年になると、中身がくたびれてくるせいか、カジュアルすぎるラフな格好をすると、貧乏くさく見えてしまう。若い頃は、それが一つのファッションになっていたのだが、そうもいっていられなくなる。かといって、カジュアルすぎず、オヤジくさくなく、オヤジが若づくりをしてますという風でもなく、ハワイや沖縄ではなく東京に似合う、そして、自分が気に入る服というのがなかなか見つからない。
クールビズ」が定着すれば、そんなことを考えているような私の世代向けに、きれいなシャツの商品開発が進むのではないかと密かに期待しているのである。