愛情

最近、野良猫と仲良くなった。
いつも雑司が谷霊園の生け垣で昼寝をしているので、「雑司が谷霊園の主」略して「ぬし」と呼んでいる。
ぬしの寝床がスーパーへの通り道だったので、行き帰りに声をかけていたら、だんだん自分のことを認識してくれるようになってきた。今は、ぬしの前に立ち止まると「にゃぁ」とちょっとかすれた声で挨拶してくれる。気分のいいときには、私の両足の間を8の字に歩いて体をすりつける。写真は、私の足下にいるぬしである。
ぬしを見ていると、なんとなく、以前住んでいたアパートを管理していた不動産屋の犬を思い出す。そこは、ちゃきちゃきしたおばさんが経営する不動産屋で、毎月家賃を払いにいくと、ストーブの脇に寝ていた老犬がのっそりと歩いてくる。頭をなでて手を出すと、その犬は手をぺろっとなめて、さて仕事は終わったとばかりにストーブの脇に戻っていく。
その犬は「狆(ちん)ちゃん」と呼ばれていた。おばさんが、犬をもらいに区の施設に行ったけれど、処分される犬たちを見てとても選べないと思ったとき、足下に転がるように駆け寄ってきた犬がいて、それが狆ちゃんだったという。今は老犬になっているけれど、そのときは子犬で、そのときのままの名前で呼ばれているのだろう。
狆ちゃんは、そんな育ちのためか、気が弱かった。あるとき、狆ちゃんを散歩させているおばさんに出会った。狆ちゃんもおばさんもあせった表情で急いで不動産屋に向かっている。どうしたのかと思い声をかけたら、おばさんは「狆ちゃんがおしっこなの」という。どうやら、狆ちゃんはナワバリがなくて外ではおしっこができないらしい。
狆ちゃんは、品種が見当つかない雑種の中型犬で、なでると毛がごわごわしていた。毎月そのごわごわした頭をなでて、手をなめてもらっているうちに、だんだん情が移ってくる。いまでも、狆ちゃんはどうしているのだろうかと、たまに考えることがある。
ぬしは、たいてい寝ぼけていて、アレルギーのせいか目やにがついている。太り気味で、客観的に見て容姿がすぐれているわけではない。しかし、仲良くなるにつれて情が移ってくる。そして、かわいくないところが、かわいく感じられてくる。今日も目やにつけていてしかたないな、と思いながらも、そこがかわいらしく思えてくる。
大げさな言葉だけれども、愛情ってこんな気持ちのことなんだろうなと思う。