地球温暖化と個人主義

ハイエクの「市場・知識・自由」を読み始めている。ポパーの「歴史主義の貧困」は翻訳の問題なのか、原文が難渋なのか、なかなか難しかったけれど、「市場・知識・自由」は語り口が明快でわかりやすい。
この本の冒頭で、ハイエクが依拠するイギリス風の「反合理的個人主義」の立場を、フランス風の「合理的個人主義」と対比させながら説明している。

 自由な人びとの自然発生的な協力は個々人の知性が完全には理解できないほどの偉大な事物を創りだすこと、そういうことが個人主義の主張である。……人間は高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理的で誤りに陥りやすい存在であり、その個々の過誤は社会的過程のうちにおいてだけ訂正されると考え、きわめて不完全な素材をもっても有効に活用することを目指す反合理的主義的アプローチは、おそらくイギリス個人主義のもっとも著しい特徴である。……右のような見解に対してデカルト的あるいは合理主義的「個人主義」が示す対象を明らかにするには、『方法序説』第二部から有名なひとつの句を引用するのが最上であると思う。「多くの棟梁の手でいろいろと寄せ集められてつくられた仕事には、ただひとりで苦労したものほどの出来ばえは滅多にない」とデカルトは述べている。(pp8-10)

イギリス風の個人主義は、個々人が社会的な過程として試行錯誤した結果には、個人の知性の成果をうわまわるものがある。そのような個人の知性をうわまわる結果を得るためには、個人の自由が保証されていることが必要だと考える。一方、フランス風の個人主義は、個人の知性による合理的な計画、設計は、試行錯誤の結果より優れていると考える。
フランス風の個人主義は、最も知性が優れた個人に従うことが最も望ましい結果を得ることができるという考えに至り、全体主義に結びつく可能性があるだろう。これに対し、イギリス風の個人主義は、「すべての人間が現にあるよりも善くなることにも依存しないのであって、善くもあれば悪くもあり、分別のあることもありはするが愚かであるときのほうが多い人間を、そういう多様で複雑な姿のままで、役立たせる社会体制」(p13)を目指すことになる。
ハイエクは、イギリス風の個人主義が成立するためには、次のような条件があると主張する。

誰も設計したのではなく、誰にも理由がわからないかも知れない社会過程の産物に、普通に従おうとする心構えもまた、強制をなくすべきであるならば欠くことのできないひとつの条件である。……慣習と伝統が人間の行動を大幅に予測可能にしている社会においてだけ、強制を最小限にしておくことが多分できるのである。(p29)

社会過程の産物を尊重する態度は、次のような保守主義とつながって行く。

真の個人主義の根本的な態度は、いかなる個人によっても設計されたり、理解されたりしたのだはないのに、しかも個々人の知性を越えるまことに偉大な事物を人類が達成した諸過程に対する、謙遜の態度である。(p41)

私個人は、マルクス主義よりも、デカルト的合理主義的個人主義よりも、ハイエクの主張する反合理主義的個人主義に共感する。すなわち、個人や政府による合理的な計画よりも、自由な市場や慣習の方が信頼できると思っている。個人や政府と比べれば、市場や慣習が信頼できるとしても、市場や慣習によって必ず正しい答えを得られる保証はないとも思う。
例えば、地球温暖化問題である。世界の科学者が構成するIPCCによる警告をふまえ、国家間の国際交渉によって温室効果ガスの排出を抑制する対策が話し合われている。典型的なデカルト的合理主義アプローチである。個人的には、人為的温室効果ガスの排出が地球温暖化の原因であるという主張は、ひとつの仮説だと考えている。そのような仮説にもとづいて、2050年までに温室効果ガス排出を半減するという目標を掲げている。もし、これを実現しようとすれば、経済や生活のありようが大きく変わらなければならない規模の対策を実行することになる。私は、危うさを感じている。
現在のところ、市場や市民は、IPCCや政府に比べると地球温暖化問題に大しては冷ややかだと思う。もし、市場が温暖化問題に真剣になっているとすれば、電力会社や自動車会社の株式は暴落しているだろう。また、一般市民が温室効果ガスを真剣に減らそうとする様子は見られない。
ハイエクのいう反合理主義的個人主義に従えば、市民や市場が真剣になっていない以上、IPCCや政府がどういおうと地球温暖化は大きな問題ではないということになる。個人的には、寒冷化ではなく、温暖化だった、それほど大きな問題でもないような気もする。しかし、実際に大きな問題であり、市民や市場が過剰に楽観的であるという可能性も否定できないようにも思う。
ハイエクが生きていれば、どのように考えたのだろうか。

市場・知識・自由―自由主義の経済思想

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