衰退かファシズムか第三の道か

山口定「ファシズム」を読んだ。これまでファシズム研究についての体系的な知識がなかったから、自分のなかで見取り図を作る上で有益な読書だった。
いまさらファシズムについての本を読んでいるのは、このウェブログでもこのところずっと書き続けているように、福島第一原子力発電所の事故以来、日本の民主制、政治体制のあり方について考え続けており、その一環としてである。
明治維新、さらには、大日本帝国憲法で成立した明治日本の帰結が太平洋戦争での敗戦だとしたら、戦後の日本国憲法で成立した「民主」日本の帰結が今回の福島第一原子力発電所の事故だと考えている。これからも、同じような問題が「民主」日本の体制の帰結として引き起こされると考えている。
民主制といっても、アメリカ、イギリス、フランスなど西洋の国家でもそれぞれ独自の理念に基づき、それぞれの政治体制が作られている。日本の民主制の骨格は大日本帝国憲法の制定時にプロシア憲法が参照され、戦後の日本国憲法の制定においてアメリカの影響を強く受け(といっても、アメリカの民主制の直輸入ともいいきれない)ているが、必ずしも「先進的」な民主制の理念を直輸入することがよいことだとは思っていない。現状の日本の「民主制」の機能不全を考えれば、日本なりの「民主制」を作り上げる必要があるが、はたしてそれは可能なのだろうか、と考えている。
戦後日本の「民主」日本の歴史を大雑把に振り返ると、次のようになるだろう。
昭和に入ってから維新の功労者である元老による支配体制が元老の死によって失われると、大日本帝国憲法の枠外である元老によって保証されていた国家意志を統一するシステムがなくなり、国は個別の利害集団の単なる集合体になった。陸軍を中心とし、革新官僚などが協力して日本におけるファシズム体制が成立したとはいえ、その陸軍内部も統制されているにはほど遠い状況だった。東京裁判において日本の指導部層による侵略に対する共同謀議の立証が困難だったのは、当時の日本には共同謀議の結果としての統一した意志などがそもそもなかったことを反映している。
戦中、戦時体制下、業界別に組織の国家的再編が進められる。日本という国全体の国家意志の統一はなかったけれど、それぞれの分野での利益団体の国家的系列化とその強化が進められた。戦後、最大の利益集団だった日本軍は解体されたけれども、その他の利益団体は形を変えて存続した。安全保障を中心とした外交はアメリカに依存し、国内の政治はもっぱら利益団体の既存利益の保全と利害の調整に終始した。そのことを象徴しているのが55年体制である。55年体制では、与党だった自由民主党には外交、安全保障のアメリカ依存以外には確たるイデオロギーがあった訳ではなく、利益団体の代表の集合体だった。また、社会党も労働団体の利益代表者として55年体制の中に組み込まれていた。このことを実によく表しているエピソードは、自民党の実力者だった金丸信社会党田辺誠一北朝鮮に訪問して金日成より金塊を受け取ったといううわさ話である。当時の自民党の中心にいた金丸信にとって外交は単なる利権に過ぎず、しかもそれは社会党と結託していたものだった。
日本国憲法のもと、形式的には「民主制」だったけれど、自民党社会党の暗黙の了解のもとに運営されていた議会政治は、有権者に政策の選択の機会を与えなかったという意味では、実質的に「民主制」とは言えない。そういう体制の元、民主的な統制から遠く離れたところで原子力政策が立案され、そして「原子力村」が形成された。その結末が今回の福島第一原子力発電所の事故であり、まさに、「民主」日本の帰結だと思う。
後期の55年体制においては、官僚支配ということが指摘されることが多かった。私は、必ずしもその意見に同意する訳ではないけれども( 村松岐夫「日本の行政―活動型官僚制の変貌」参照)、仮に官僚が日本を支配しているといっても、官僚が共同謀議をして日本全体の方向付けをしているのではなく、省益、局益、部益、課益と関連する利益団体の利益を擁護し、その利害調整をしているに過ぎない。
55年体制は、基本的には既得権益の擁護の体制であり、時代の変化に適応できるものではない。特に、冷戦の集結、グローバリズムの進展によって、日本の政治、経済、社会の構造転換が求められるようになってもそれに適切に対応できることができなかった。
55年体制の打破という点においては、やはり、小沢一郎小泉純一郎の役割が大きかったと思う。自民党の中枢にいた小沢一郎自民党を割って出たことで、政権交代が現質的な可能性を持った。細川内閣以後の自民党社会党連立政権は、それまでは社会党は「野党」というポーズを取っていたが、それをかなぐり捨てて既得権益の擁護がむき出しになった、実に醜悪な体制だったと思う。
また、小泉純一郎は、自民党の総裁、首相でありながら、個人的な国民的な支持を梃子にして、日本の最大の利益集団の一つである郵政の解体を進めた。当然、そのことは自民党の支持基盤に自らにメスを入れることになる。小泉純一郎引退以降、自民党は新しい時代に対応できる政党に脱皮するチャンスを逃し、最終的には民主党への政権交代が実現する。
政権交代によって何が実現されるのかということが問題だという指摘もあるけれど、55年体制における自民党政権の長い歴史を考えれば、政権交代が実現したという事実に大きな意味があったと思う。私自身は民主党支持者ではないけれども、政権交代可能になったという事実には大きな意味がある。
しかし、戦前の二大政党制は機能不全と腐敗によって国民の信頼を失って崩壊し、ファシズムへの道を開いた。山口定「ファシズム」によると「中間諸階層がファフィズムの最も中心的な支持基盤で…戦争、インフレ、恐慌によって中間層の大量かつ劇的な没落(「客観的プロレタリア化」)が起こったことを…中間層が「大資本」と「組織労働者」との間に挟撃されているという危機意識をもつにいたった(pp102-107)」と指摘されている。戦前期の日本の場合、二大政党制が疲弊した農村へ有効な政策を実行できなかったことが、ファシズム、戦争の拡大への一つの背景となっている。
現在のところ、民主党は震災、原子力発電所の事故やリーマン・ショック以来の世界的景気後退に対して有効な政策を実行できていない。また、少子高齢化グローバル化という長期的かつ構造的な問題に対して方針を示すこともできてない。政権交代をしながらも、既存の利益集団に対する構造改革小泉純一郎と比較するとまったく停滞している。一方、自民党も弱体化が進んでおり、単なる反対政党に転落してまったように見え、政権奪還への活力や新しい方向性、支持の獲得ができていない。
労働組合の勢力が後退し、グローバル化の影響もあり、組織化されていない未熟練労働者、特に若年層の失業者に、現在の日本の社会の矛盾が最も集約されている。しかし、彼らは既得権益を持つ利益集団と結びついていないために、政治から放置されている。高齢化が進むともに今後ますます拡大してく利益集団は、大企業の従業員や組織化された労働者が退職した年金生活者である。彼らは基本的には福祉の確保に関心があり、若年層のための将来の日本について真剣な関心はない。
さて、これからの日本の政治はどのようになっていくのだろうか。
いちばんありそうなのは、民主党自民党とも既得権益者、主に年金生活者の利益を代表し、基本的な問題は解決せず、原子力発電所の事故のような「民主」日本のほころびを対処療法で彌縫しつつ、衰退し続けるのではないだろうか。
戦前の日本で、二大政党制崩壊後、まったく新しい存在として国民の期待を担って登場した近衛文麿が結果としてファシズムへの潮流を留められなかったように、いま、政治から見放されている人たち、かつてファシズムを支持した中間層のように、新しい政治勢力、指導者に熱狂的な支持が集中し、ファシズム的な体制が成立する可能性もなくはないだろう。個人的には危険な道だと考えているが。もっとも、ファシズムに走るエネルギーすらなくなっているような気もするが。
いちばん望ましく、そして、ありえそうもないシナリオが、現在の二大政党制が成熟し、現在政治からこぼれ落ちている人たちの支持も集め、構造改革を強力に進め、グローバル化少子高齢化に対応できる新しい民主制を確立することである。
こう考えてくると、望ましいシナリオのありえなさが感じられ、暗い気持ちになってくる。

日本の行政―活動型官僚制の変貌 (中公新書)

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ファシズム (岩波現代文庫)

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