芽生え

ベランダに置いてある鉢植えの紅葉の小さな手のひらのような葉が、ずいぶん大きくなってきた。葉の先の方は紅色で、根元の方は若緑色になっている。今年は、夏場、水を枯らさないようにして、きれいに紅葉させたい。
いつも芽生えが遅い山桑も、かさかさとした枝の先から1ミリほど青い芽が顔を出した。冬の間は、外から見ると生きている証拠がないから、枯れてしまったのではないかと不安になるけれど、今年も緑の葉を出してくれそうだ。
つれあいに呼ばれて、窓の外の大銀杏を見ると、小さな若葉が風に揺られている。

雑司が谷の色

3月中は、夫婦ともにあわただしく、週末をゆっくり過ごすことができなかったが、昨日の午前中はつれあいとゆっくりと散歩することができた。
雑司が谷の動物、植物事情を観察しながら散歩をする。このところ、雑司が谷から野良猫とカラスが減ったように思う。以前は、10匹ぐらいの野良猫がたむろしていて、猫横町と呼んでいた路地があったけれど、えさをあげる人がいなくなったためか、カラス対策でゴミ出しの管理が厳しくなったためか、すっかり野良猫を見かけなくなった。
天敵がいなくなったためか、その代わりに小鳥が増えた。朝、ウグイスが鳴く練習をしている声が聞こえる。桜の花を探して木を眺めながら散歩をしていると、梢にコゲラが留まっているのが見える。
早咲きの桜は、花がほころび始めていた。来週末には満開になりそうだ。今は、木蓮が満開になっている。雑司が谷の商店街へ下る坂道から、向かい側の丘の斜面にある小学校の校庭に咲いている木蓮が見えた。テレビで吉野の桜を見ると、山の斜面のあちらこちらで桜の花が咲いており、山がうっすらとピンク色に染まっているようだ。ささやかだけれども、雑司が谷の斜面の木蓮の花も吉野の山のように、斜面を白い色に染めている。そして、桜が咲けば、雑司が谷もピンクに染まるだろう。

自意識過剰

少なくなったといっても、散歩をしていると、あちらこちらで野良猫と出くわすことになる。
雑司が谷商店街の続きの道にある駐車場で、妙な格好をしている猫を見つけた。後ろ足の片方を頭の後ろにあげて、まるでヨガのポーズをしているようだった。何をしているのだろうと眺めていたら、そのままの格好で、フーッと威嚇の声をあげた。
たぶん、この猫を股をなめていたのだろう。その瞬間にわれわれに見られているのに気が付いて凍り付いてしまい、そんな姿を見られたくないから威嚇したのだろう。
犬は、猫のように自意識過剰ではないから、妙な姿を見られたからと言って、その姿勢で固まってしまうことはないし、こっちを見るなと威嚇することもない。しかし、猫は、自意識過剰なあまり不思議な行動をしてしまうことがある。そこが猫のおもしろいところだ。
その猫が、見られることをいやがっていることは分かったけれど、不思議なポーズがおもしろく、かえって意地悪な気持ちになり、わざとじっと見つめてしまった。

花粉症

昨日の散歩で花粉を吸い込んだためか、ついに、本格的に花粉症が発症してしまった。
鼻水もさることならが、咳が止まらない。軽いぜんそくのような症状で、胸に軽い違和感があり、息苦しい。身体を動かすと咳がでる。とにかく、明日は医者に行こうと思う。
考えてみれば、これまでも春になると咳がでていたような気がする。目や鼻の症状はあまりなかったから、花粉症だとは思わず、ストレス、心因性の症状かと思っていたが、どうやら花粉症だったようだ。
これから、毎年、この苦しさを味わうのかと思うと気が重い。

SF読み?

昨日の散歩の途中、鬼子母神の脇にある豊島区立雑司が谷図書館に立ち寄り、インターネットで予約した本を借りた。鬼子母神から明治通りを通って池袋に行く途中、往来座という古本屋をのぞく(http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/)。気が利いていて、それでいて肩肘を張っていない雰囲気のお店である。部屋が本で溢れないように、絶版本は図書館で借りて読むようにしているが、漱石全集や荷風全集が全巻揃いで1万円ちょっと値札が付いているのをみると、思わず買いそうになる。いずれ、買ってしまうに違いない。そのまま池袋駅の方まで歩くと、明治通りの右側にはジュンク堂、左側には西武リブロがある。本を買う誘惑が多いが、昨日は買わずにすんだ。
ここのところ、昔読んだSF小説を読み返している。図書館で借りた本は、ウィリアム・ギブソン「クローム襲撃」(ハヤカワ文庫)(ISBN:4150107173)、J.G.バラード「太陽の帝国」(国書刊行会)(ISBN:4336024421)「女たちのやさしさ」(岩波文庫)(ISBN:4000223518)である。
若い頃、教養としてSFを読んでいたが、結局、今でも読む気になるのは、ウィリアム・ギブソン、ルーディー・ラッカー、アレックス・エフィンジャーといったサイバーパンクとJ.G.バラードである。サイバーパンクは、SFというより、ピカレスク・ロマン、風俗小説として楽しんでいる。バラードも、SFというより、気力のすべてを吸い込んでしまう迷宮のような熱帯のジャングル、戦争下の上海の描写に惹かれている。いわゆるハードSFにはさほど興味をそそられない。
そう考えると、自分は、決してSF読みとは言えないのだろうなぁと思う。