イラクの現状は

日本人の誘拐事件の人質についてや自衛隊の派遣の是非などについて、いろいろなところでさまざまに語られている。しかし、結局のところ、イラクの実態について情報が少なすぎて、大部分は憶測に過ぎないように思う。
最初に人質になった3人について、あまりに危険で無謀な行動だったという印象がある。しかし、これも、無謀な行動だったのか、周到な準備をしたにもかかわらず誘拐されたのか、はっきりしない。ヨルダンから、自動車を雇ってバグダッドに出発した、というところまでは報道されているが、その後の足取りは報道されていないように思う。いったい、どこで誘拐されたのかすらよくわかっていない。これでは、誘拐されたことのどこまでが3人の責任なのかわからない。
誘拐事件が発生したとき、NHKのバグダッド特派員が、セキュリティを雇うなど特別な配慮をしていても危険な状態だから、バグダッドに来ないようにと呼びかけていた。これを考えれば、やはり、無謀だったのかとも思えるが、NHKの特派員の証言だけでは不足している。すくなくとも、他の国のマスコミ、NGO、国際機関、軍隊、政府関係者から見て、彼らの行動がどのように見えていたのか、ぜひ取材をしてほしい。
また、誘拐したグループについても、結局のところ、よくわかっていない。ファルージャで「武装勢力」と米軍が戦闘していているらしいが、その「武装勢力」の実態がよくわからない。どのような人々が参加し、指揮系統がどのようになっており、どの程度の人数がおり、かつてのフセインの軍隊や政府との関わりがどうなっているのか、武器はどうやって調達しているのか。米軍と停戦をするというからには、ある程度秩序だった指揮系統があるということになるが、それはどのようなものなのか。
「部族」という言葉も使われているが、これもどのような性格のものかよくわからない。どの程度の規模の集団を指しているのか。例えば、ファルージャという街には、複数の部族が居住しているのか、していないのか。部族には明確な長が存在するのか。部族とイスラーム、諸宗派との関係はどのようになっているのか。そして、「誘拐犯」「武装勢力」と「部族」はどのような関係にあるのか。
そして、日本政府、その他の政府、国際機関などを通じて、「誘拐犯」「武装勢力」と、どのような交渉があったのか。
冷静に考えれば、ファルージャで戦闘している「武装勢力」と「誘拐犯」が密接に関係しているとすれば、自衛隊の撤退という要求は、あまり重要なものでなかったかもしれない。「武装勢力」は、米軍と戦闘しているのだから、米軍に打撃を与えたり、停戦をしたり、もしくは、戦うための資金や武器を得ることの方が切実な問題である。誘拐事件のあとすぐに、米軍はファルージャで停戦を呼びかけ、それに応じるように人質の解放が公表された。ここからはまったくの憶測になってしまうが、日本から米国にファルージャで停戦するような要請があり、それも停戦の一つの契機になったとすれば、「誘拐犯」側にとっては自衛隊が撤退するより、より大きな収穫があったことになるだろう。
自衛隊の存在が、イラクでどのように理解されているのかも気になる。少なくとも、自衛隊が活動しているサマワでは、復興のためにイラクに来ていることは理解されているのだろうけれど、イランの他の地域ではどうなのだろうか。さきほどのNHKのバグダッド特派員が、バグダッドの街の声をいくつか拾っていた。その中では、自衛隊が復興のために来ていることはおおむね理解されているようだったが、これも、どこまで一般的なのかがわからない。
そのなかで、ほとんど唯一イラクの状況について客観的な報道と思えたのがNHKの「世界潮流2004 イラク市民2700人の声」だった。この状況下、イラクで世論調査をしているというのが、ほんとうに貴重なデータだと思う。
この番組の結論を一言でまとめれば、イラク人の大勢としては、フセイン政権を倒した米軍にはおおむね肯定的であるが、米軍の統治に対しては否定的であるということだ。フセイン政権打倒については、イラク人が肯定的だったのが意外だった。
マスコミの報道だけでは、イスラームイラク、アラブに関する基礎知識が得られない。入門書という意味では、井筒俊彦イスラーム文化』(岩波文庫)(amazon:400331851X])と池内恵『現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書)([amazon:4061495887)がわかりやすかった。前者は、イスラームとアラブに関する基礎的な知識、アラブにおける部族、スンニ派やシーア派とはなにか、ウラマーイマームといった人々のイスラームにおける地位などが理解できる。後者は、現代のイスラーム世界に関するわかりやすい解説になっている。「世界潮流2004 イラク市民2700人の声」の司会も、池内恵がしていたが、彼は信頼できるように思う。
事態が進行している現在では、十分に報道できないこともあるのだろう。マスコミにはぜひ、しっかりとした事後検証の報道をしてほしい。
村上春樹『やがて哀しき外国語』(講談社文庫)(amazon:4062634376)は、湾岸戦争直後の1991年から2年間の米国での生活に関するエッセイである。当時の米国の雰囲気について、次のように書かれている。

 アメリカ人の敵対意識の対象は、その一年のあいだにサダム・フセインから日本経済へと移行してしまった。どのようなニュース・メディアを見ていても、転換ははっきりとわかる。新聞には日本と日本人とを糾弾する投書や論説が満ち満ちている。

おそらく、日本の政府、外務省は、このときの二の舞だけはするまいと必死なのだろう。米国の次の敵が日本とならないように、ひたすら米国への追従しているのだろう。
結局、米国と友好関係を維持することが最も重要だという立場がある。これも、実際のところどうなのだろうか。湾岸戦争以後、米国の日本敵視の結果、どのようなマイナスがあったのか、それも冷静にレビューする報道も見てみたいと思う。