社会と個性
山本七平「現人神の創作者たち」を読んでいる。
日本の現代の思想状況を批評しながら、尊王思想の源流を江戸時代にたどった本である。
そのなかに、山崎闇斎の高弟であった佐藤直方の言葉を引用した部分がある。その言葉が、実に身も蓋もないものなのである。
道理ヲシラヌ人ハ、死ダ人ヲテウハウガル。ウバ・カカノ仏ヲ尊信シ、本邦ノ禰宜ノ神社ヲ尊信スル、同ジ。生タ人コソ調法ナレ、死ダ後ハ何ンノ調法ハナシ。聖賢ヲ尊信スルハ、其言行ヲ尊信シタモノナリ。孔子ホドノ聖人デモ、言行ガ一ツモ残ラネバ調法ハナシ。異端ノ徒ガ仏神ノ力ヲタノミ、病ヲ除キ貨福ヲ求ルハ、カイシキ愚ナルコトナリ。生タ人ハ妙薬デモ覚ヘテ云テキカスルコトモアルベシ、死ダル人ガナントスルモノゾ。
(pp179-180)
道理を知らない人は死んだ人を調法がるが、死んだ後はなんにも役に立たない。孔子ほどの聖人であってもその言行が残っていなければ役に立たない。仏や神に病気を治したり、豊かになることを求めるのは愚かなことだ。生きている人であれば、妙薬を知っていて教えてくれるかもしれないが、死んだ人はなにができるのだ。
実にごもっとも、その通りである。しかし、それを言ってはおしまい、というか、身も蓋もない言葉である。
本居宣長の「鈴屋問答録」にも、死生観について同じように身も蓋もない言葉がある。子安宣邦「本居宣長とは誰か」から孫引きしたい。
儒仏の説は、面白く候へ共、実には面白きやうに此方より作りて当て候物也。御国にて上古、かかる儒仏等の如き説をいまだきかぬ以前には、さやうのこざかしき心なき故に、ただ死ぬればよみの国に行く物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを疑ふ人も候はず、理屈を考へる人も候はざりし也。さて其のよみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ずゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也。
儒教や仏教の説はすっきりしているけれど、実際にはすっきりするように作ったものである。わが国の古代、このような儒教、仏教のような説を聞く前は、そのようなこざかしい心はなかったので、ただ死ねばよみの国にいくものとだけ思って、かなしむより外の心はなく、これを疑う人もなく、理屈を考える人もいなかった。そのよみの国は、きたなく、不快なところであるが、死ねば必ず行かなければならないので、この世では死ぬほどかなしい事はないのである。
仏教や伝統の力が強かった江戸時代にも、このような無神論的な死生観を述べていた人がいたということが興味深い。昔の人は皆信心深かったわけではなく、死後の世界や救いをあっさりと否定していた人もいたのである。昔の人や他の社会や文化に属する人は、ついついステレオタイプをあてはめて一様なものと思いがちだけれども、いつの時代、どの地域でも個性というものがあったのである。
レヴィ=ストロースは、「悲しき熱帯」のなかで、アマゾンに住む物質的にはきわめて貧しいナンビクワラ族の人たちのなかに、個々人の個性を見いだしたことを書いている。
ナンビクワラ族の社会のように、競争意識による刺激がほとんどない社会にも、このような個人の差が存在するということは、この差異がすべて社会的なものからのみ生まれたもではないことを示唆している。この差異はむしろ、あらゆる社会がそれによって構築されている人間の心理に関わる、未加工の材料の一部を成しているいるのである。人間は、みな同じようなものではない。社会学者が、なんでもかんでも伝統によって圧し潰されたものとして描いて来た未開社会においてさえ、こうした個人の差異は、「個人主義的」と言われている私たちの文明におけるのと同じくらい細かく見分けられ、同じように入念に利用されているのだ。
(Ⅱ p235)
とはいえ、やはり佐藤直方や本居宣長の考え方は、その時代のなかではとくに個性的で、あまり人々から受け入れられたわけではなかったようである。佐藤直方は山崎闇斎の高弟であったけれども、彼の学派は勢力を持たず、後世へあまり影響を及ぼすことはなかった。また、本居宣長以降の国学は、平田篤胤に代表されるように人の霊の行方に強い関心を持ち、そのことは柳田国男の民俗学まで影響を与えている。
しかし、いつの時代にもまわりの人とは違った考え方を持った人がいたという事実は、自分も人と違った考えを持ってもよいのだと、勇気を与え、心強くしてくれる。
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