「勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません」

先週の土曜日、村田諒太と アッサン・エンダムのWBA世界ミドル級タイトルマッチがあり、エンダムが判定勝ちをした。判定については物議を醸しているが、その当否については、私はよくわからない。ただ、判定を聞いたときの村田諒太の驚いた表情は印象的だった。

その村田諒太Facebookに次のように書き込んでいた。

多くの方に応援いただいたのに、勝つことが出来ず申し訳ございません。
勝ってた負けてたはジャッジの仕事なんで、受け入れるしかありません
それがアスリートの役目かと思っています
少し休んでこの先のことは考えます
応援ありがとうございました。
負けてすみません。
村田 諒太

村田諒太 Facebookより)

 村田諒太のプロ転向、世界挑戦までの道のりは、日本のプロボクシング界最大のプロジェクトである。資金力があり、非常に充実したトレーニング環境が提供されているようだ。一方で、スポンサーをはじめ関係者も多く、村田諒太にかかるプレッシャーも並大抵ではなかっただろう。

自分が勝つか負けるかで周囲にあまりに大きな影響を与える、そのような環境のなか、どのような態度に対応すればよいのだろうか?

自分の力の及ぶことはできうる限りする、そして、力の及ばないことは淡々と受け入れる、それしかないのだと思う。多くの場合、自分の力の及ぶところ、及ばないところを見定めることができず、心が乱れて、自分の力が及ぶことについてベストを尽くすことができないのだろう。

「勝ってた負けてたはジャッジの仕事」というのは、一見、無責任のようにもみえるけれど、自分の力の及ぶ範囲を厳しく見定める結果、こういう言葉になったのだろう。たしかに、判定で勝てるようなボクシングをすることは「選手の仕事」だけれども、最終的に判定するのは「ジャッジの仕事」だ。おそらく、ジャッジに抗議をするのは「ジムの仕事」だろう。

手垢の付いた言葉でいえば「人事を尽くして天命を待つ」ということだが、村田諒太のようにこれを突き詰めることは簡単ではない。