日本語でロックをするということの二重の枷

「ロックの死」(id:yagian:20110601:1306875389)で書いたけれど、6月にベン・フォールズのライブに行ってきた。
その後、ライブのチラシを会社の机の脇に貼っていたのだけれども、しばらくは無反応だった。他の部署に所属している一緒に仕事をしている女子社員がいて、彼女が私の印を取りに私の机のところまできたときに、彼のチラシに気がついた。彼女が社内結婚をした相手がベン・フォールズファンで、披露宴の時の音楽に使ったのだという。それをきっかけにして音楽の話になり、私が"Ben Folds Live"のDVDを貸すことになった。DVDを返してもらった時、なにかおすすめのCDがあれば貸して欲しいと頼み、くるりのベスト盤を貸してもらうことになった。
くるりは、気の利いた音楽をやっているグループとしてぼんやりと認識していて、ラジオで流れているのをなんとなく耳にしたぐらいで、きちんと聴いたことがなかった。借りてきたCDをさっそくデータにして、iPodで通勤中に聴いている。
「ロックの死」でも書いたけれど、くるりウィントン・マルサリス的だなと思う。ロックをよく勉強していて、気の利いた音楽を作っている。いい曲だと思うもののいくつもあるし、聴いていて気持ちがいい。趣味が良くて、まったく悪くない。しかし、強烈に心が惹かれるということもない。ああ、これはR.E.Mか、こっちはブリティッシュ・ロックね、と思いながら聴いている。もちろん、私自身が年をとって感受性が衰えているということもあるけれど、くるりからロックに入門したという若者がいたとして、彼らの熱狂的にファンになるものなのだろうか。
これから書くことは、まったくの私の妄想で、じっさいのくるり岸田繁がそのように考えているかどうか、根拠はまったくない。自分自身が感じていることを勝手にくるりに投影して感想を書こうと思う。
くるり岸田繁は二重の意味で枷をはめられているのではないかと想像している。
ひとつめは上にも書いたとおり、ロックというすでに死んでしまっているジャンルで学究的に音楽を作っているということ。それはそれで楽しい作業かもしれないけれど、本当の意味で音楽をして弾けるという体験はできないのではないかと思う。ま、まったくもってよけいなお世話かもしれないけれど。
ふたつめは、日本で日本市場を対象に、日本語でロックをしているということ。くるりの研究対象は主としてアメリカとイギリスのロックである。それを再現、編集するときに、日本で日本語でその行為をするということはどのような意味があるのだろうか。
桑田佳祐、日本語ロック論争への完璧な回答」(id:yagian:20110408:1302209920)のなかで、桑田佳祐が日本語を英語のアクセントでロックを歌う歌唱法を開発したことについて書いた。それに対して、次のようなコメントがついた。

英語の韻は意識しなくても踏んじゃってるくらい自然なもんだけど、桑田のはわざとらしくてあざといよ
大体英語交じりでうたわなきゃ成立しないなんて、こんなのジャンルとして成立してないだろ
この手のばったもん音楽が売れてる限り日本の音楽が世界とためをはれるレベルになる日はこないだろうね
百年後もこうやって「かなしいぜロンリー」とか馬鹿みたいなことやってるわけ?

この人のコメントは正しいと思う。桑田佳祐が日本語を英語のアクセントでロックを歌うのは、突き詰めて言えば日本の市場では日本語の歌詞でないと売れないという壁があり、また、彼自身も日本の市場のなかで音楽活動をしようと考えているからだ。そもそも「日本の音楽が世界とためを」はろうとは考えていないと思う。
くるりを聴いていると、彼自身はそこをどのように考えているのか、疑問を感じる。あくまでも日本の市場でやろうとしているのか、それとも、自身の研究対象であるアメリカやイギリスで音楽をすることを想定しているのだろうか。
「ロックの死」で紹介した細野晴臣を特集していた番組では、たまたま小山田圭吾も出ていた。フリッパーズ・ギターの時代には、海外から直輸入した音楽を日本語で再現していたけれど、いつのまにか日本よりはむしろヨーロッパで売れる存在となっていた。小山田圭吾がどこまで意識的に海外進出を考えていたのかわからないけれど、彼自身の音楽を深く掘り下げていった結果、日本の市場から突き抜けて世界の市場にたどり着いた。
岸田繁はどう考えているのだろうか。日本では正統に評価されないというフラストレーションは感じないのだろうか。
単に、私自身が、最近、英語でウェブログを書くとおもしろいと言ってくれる人がいるけれど、日本語でウェブログを書くとピントはずれな反応が返ってくることにフラストレーションを感じていることを勝手に投影しているだけかもしれない。
もちろん、岸田繁は日本語のネイティブ・スピーカーだから、特に選択するという意識もなく日本語でロックをしているのかもしれないけれど、二重の枷が苦しくないのだろうか。

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER

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