歴史

土曜日の日記(id:yagian:20050813#p2)に、小泉首相の現在は、小沢一郎が始めた政治改革の帰結だ、ということを書いた。あのころ、あれだけ政治改革、政治改革と騒いだわりに、いざ、その成果が得られる頃合いにはすっかり忘れているというのはどうしたことだろうか。
政治改革のような国を対象にした大きな改革では、制度を変えてもすぐに効果があらわれるわけではない。ここ15年ぐらいをかけて進められた政治改革、行政改革の成果は、いまようやく実りつつある。政治学の世界では常識ではあるのだろうけれど、誰かわかりやすくまとめて書いてもらえないだろうか。
現在、六か国協議が休会中である。六か国協議のメンバーは、ロシア、中国、米国、日本、韓国、北朝鮮である。考えてみれば、朝鮮半島は、ここ100年来、ロシア、中国、米国、日本の四つの大国に翻弄されつづけている。現代に至ってもその構図はまったく変わっていないことが、この六か国協議のメンバーが示している。気の毒なことだと思う。
拉致被害者のことを考えれば、現在の支配体制を守るためならばなんでもする北朝鮮という国は非道な国だと思う。しかし、ポツダム宣言を受諾する時に日本政府が考慮していたのは、国体の護持であった。国体の護持、すなわち、当時の支配体制を守ることがあらゆることに優先していたわけである。その意味では、今の北朝鮮と60年前の日本とは似通った国だったということだ。
だからどうすべき、ということではないけれど、もう少し長いスパンで考えれば、いろいろなことの見え方が違ってくると思う。

批評

福田和也の「日本人の目玉」(ちくま学芸文庫 ISBN:4480089217)に、小林秀雄の批評文についてこのように書かれていた。

 批評文が、作品化され、創作化されることが必然的であると思われるのは、批評家が対象を扱う時に、思想や価値観によって切り取るのではなく、特定された状況における認識においてのみ生起する、一般的な状況に還元しえないものとしてしか示せない独立した認識であり、伝達も、理解も不可能な認識であるからである。小林における批評の完成とは、「べき」、「ため」を逃れた主観を、つまりは「宿命」の姿を、場面として造形する事によって、伝えられる物へと転換せしめたという事であった。……

こんなおおげさな言葉で意識していたわけではないけれど、このウェブログで書きたいのは、こういうことだと思った。