批評

福田和也の「日本人の目玉」(ちくま学芸文庫 ISBN:4480089217)に、小林秀雄の批評文についてこのように書かれていた。

 批評文が、作品化され、創作化されることが必然的であると思われるのは、批評家が対象を扱う時に、思想や価値観によって切り取るのではなく、特定された状況における認識においてのみ生起する、一般的な状況に還元しえないものとしてしか示せない独立した認識であり、伝達も、理解も不可能な認識であるからである。小林における批評の完成とは、「べき」、「ため」を逃れた主観を、つまりは「宿命」の姿を、場面として造形する事によって、伝えられる物へと転換せしめたという事であった。……

こんなおおげさな言葉で意識していたわけではないけれど、このウェブログで書きたいのは、こういうことだと思った。