2010年06月19日のツイート
@yagian: ジーコ・ジャパンは意思統一ができず、選手の気持ちもばらばらで、気力体力が切れてチームが崩壊していた。今回は、やりたいことをやれているから、ずいぶん違うよね。オランダ戦0-1はまあ想定内だし。RT @yinamoto でも、ジーコ・ジャパンよりははるかに楽しんでるよ、おれは。
2010-06-19 23:00:44 via web
@yagian: 朝、ツィッターとウェブログを書き、午前中はゴルフスクールに行き、午後から鎌倉へ行って三十三観音巡りの内四つのお寺を巡って御朱印をもらい、夕食は横浜中華街で食べて、中華のお菓子をおみあげに買って、帰宅するところ。充実した週末だった。
@yagian: 丸山は自分の論説に適合した部分をピックアップした感じ。小林は、宣長を、宣長の流儀で、当時読まれていたように読んでいるという感じ。 RT @finalvent 小林のほうがテキストクリティックが深い。“@yagian: (cont) URL
2010-06-19 12:32:24 via web
@yagian: 小林秀雄は、本居宣長を現代の観点から「実証主義的」「近代的」と見ることは意味がないということを指摘していたような記憶があります。これは、丸山の否定なんでしょうね。RT @finalvent 丸山の否定もある。“@yagian: (cont) URL
2010-06-19 09:41:06 via web
@yagian: 丸山眞男の所論は、明晰でわかりやすいけれど、図式的で深みに欠ける感じがします。小林秀雄は、丸山眞男が切り落としたところを拾っている印象がありました。 RT @finalvent 丸山の否定もある。“@yagian: (cont) URL
2010-06-19 09:26:28 via web
@yagian: 大相撲で、野球賭博、暴力団の関係が取りざたされる力士は日本人ばかりで、外国人力士はディープな日本社会に入り込むのは難しいのかなと思う。しかし、問題がある力士が欠場したら、出場する力士は外国人ばかりになってしまうのでは。
2010-06-19 09:00:39 via web
@yagian: 『本居宣長』って、結局何が言いたいのかよくわからなったです…… RT @finalvent で、小林秀雄が壮大なちゃぶ台返し。“@yagian: 「日本政治思想史研究」は、論理の展開と構成の見通しがよくて、紆余曲折しながら議論を進めていくフーコーと違って、要約が非常に楽。
2010-06-19 07:43:33 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」は、論理の展開と構成の見通しがよくて、紆余曲折しながら議論を進めていくフーコーと違って、要約が非常に楽。日本語は論理的ではないという主張をする人に、丸山眞男の本を読ませて感想を聞きたい。
2010-06-19 06:57:59 via web
@yagian: 続き:宣長学では、社会の規範性を否定し、人間の自然性を積極的に位置づけた。徂徠学では、文芸の倫理、政治から解放したが、宣長学では、倫理と分離された「もののあわれ」を文芸の基礎に置いた。宣長の古道は規範を否定したものだが、後継者である平田篤胤においては、古道は政治的イズムとなる。
2010-06-19 06:31:50 via web
@yagian: 続き:第二点として、徂徠学は勧善懲悪史観を否定したが、宣長学においては、歴史は不可知である神の意志に帰すると考え、天命のような超越的規準による歴史の合理化を否定し、歴史的事実への忠実であった。徂徠学では、個人と社会の倫理を分離することで、個人におけるリゴリズムを否定した。
2010-06-19 06:21:29 via web
@yagian: 続き:さらに徂徠学と国学を完成させた宣長学の共通点として、以下の二点が指摘できる。第一点として、人格的実在に対する絶対的尊信と表裏一体として、その人格的実在をそのまま理解するために、文献解釈に恣意性を排除することを指向した文献学的=実証的方法論がある。
2010-06-19 06:15:51 via web
@yagian: 続き:徳川時代初期、山崎闇斎に代表されるように神道は朱子学に理論的根拠を求めてきたが、聖人を絶対視する荻生徂徠は朱子学と混交した神道を否定した。国学も、神道の朱子学との混交を批判し、また、人格を持った聖人を絶対視する徂徠学と同様に、人格を持った皇祖神を絶対視する。
2010-06-19 06:13:07 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第一章第四節「国学とくに宣長学との関連」要約:徂徠学は徳川時代の儒学の頂点であり、徂徠学の凋落以降、それに代わって国学が思想界のヘゲモニーを握った。国学者は儒学、ことに徂徠学を批判し、主観的には関連性を否定するが、客観的には深い関連性がある。
2010-06-19 06:05:23 via web