2010年06月24日のツイート
@yagian: 今日は早寝して、早起きができたら、デンマーク戦の後半から見ようと思う。おやすみなさい。
2010-06-24 22:11:15 via web
@yagian: 続き:政治の集権化という集中化の方向と国民意識の浸透という拡大化の方向である。「前期的」国民主義思潮では、集中化が先行し、拡大化は不徹底に終わった。明治維新では、外国勢力による幕府権力の弱体化による国内的分裂は、庶民から成長した政治力で克服されず、武士と庶民の上層部に担われた。
2010-06-24 20:40:18 via web
@yagian: 続き:上層武士による尊王攘夷論は、水戸学に代表され体制肯定的であり、尊王敬幕論、公武合体論に結びつく。ペリー来航に至ると吉田松陰に代表される倒幕論に結びつく過激な下層武士による尊王攘夷論が高まる。国家的独立のための国民的統一には二つの方向があった。
2010-06-24 20:33:59 via web
@yagian: 続き:林子平、古賀精里、本多利明、佐藤信淵などの海防論において、国防を実現するために富国強兵が目指され、その実現のために集権的絶対主義的な国家論が主張された。この思想が、尊王攘夷論に繋がっていく。尊王攘夷論には、上層武士によるそれと下層武士によるそれがあった。
2010-06-24 20:30:54 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第三章第三節「前期的国民主義の諸形態」要約:真の近代的国民主義思想の形成は維新を待たねばならなかったが、それを準備した「前期的」国民主義思潮を見てみる。ラックスマンの来航など海外の勢力の脅威が問題となりはじめ、海防論が論じられるようになった。
2010-06-24 20:25:32 via web
@yagian: 丸山眞男は、まさに、近代国民国家の成立を支持する近代主義者ですね。戦中、戦後、日本が近代国民国家として成立していなかったことをあきたらなく思っていた。 RT @yinamoto 「このような状況は、国民的統一的意識の醸成を阻んでいた」というのは実に近代主義者的な書き方だなあ。
2010-06-24 14:50:06 via web
@yagian: 続き:このため、外国勢力が到来したとき、幕府は、外国勢力自体を恐れるのみならず、むしろ、国内の諸藩、被支配階級の人々の離反を恐れた。
2010-06-24 12:55:44 via web
@yagian: 続き:被支配階級においては、権利とともに政治的責任が与えられず、国家への参加意識はなかった。また、支配階級においても責任意識は国家ではなく、直接の主君を対象としていた。このような状況は、国民的統一的意識の醸成を阻んでいたが、徳川幕府はこの状況を最大限に利用して支配を行っていた。
2010-06-24 12:54:45 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第三章第二節「徳川封建制下における国民意識」要約:日本において国民意識の誕生は、世界市場形成という歴史的必然による外国勢力の渡来による明治維新を待たねばならなかった。徳川封建制においては、支配階級、被支配階級が画然と分離され、地域間も分離されていた。
2010-06-24 12:52:21 via web
@yagian: 私の要約は拙くてうまく伝わらないかもしれないけれど、丸山眞男「日本政治思想史研究」の国民国家の解説は、私が読んだことのあるもののなかで、いちばん明晰でわかりやすかった。やっぱり、この人は地頭がいいと思う。
2010-06-24 12:18:59 via web
@yagian: 続き:国民国家の形成、発展の様態は国によって多様であり、また、国民意識に基づく「国民」という存在は、外的刺激などを契機とする一定の歴史的条件段階の産物でり、自然的自生的存在ではない。
2010-06-24 12:16:53 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第三章「国民主義の「前期的」形成」第一節「まへがき?国民および国民主義」要約:ある集団が「国民」となるためには自らを政治的統一体として意識、意欲する国民意識の成立が必要であり、これが近代国家成立のための不可欠な条件である。
2010-06-24 12:14:14 via web
@yagian: 丸山眞男の社会秩序に対する「自然」と「作為」の対立を現代に当てはめて考えてみると、素朴に日本の「伝統」を「自然的秩序」と主張する人(例えば、夫婦別姓が日本古来の家族制度を崩壊させるとか)は、けっこういるなぁと思う。
2010-06-24 05:58:24 via web
@yagian: アメリカみたいなスーパースターはいないけれど、チームが一丸となって献身的に走るチームが好きなので、グループリーグ突破はうれしい。
2010-06-24 05:34:15 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第二章の末尾近くの言葉。「明治時代は全市民的=近代的な瞬間を一時も持たなかつたのである。しかし、この後の問題はなかなか重大であつて、なほ別に詳細な検討を必要とする。」これが、丸山眞男がこの本で最も主張したかったことだろう。それは戦中戦後一貫していたと。
2010-06-24 05:18:07 via web
@yagian: 続き:新たな自然的秩序思想は、主体的な個人より自然的な国家を先行するものと考えた。徳川時代の思想は全封建的ではなかったが、それとは逆に、明治時代の思想は全市民的=近代的なものとはなりえなかった。
2010-06-24 05:10:06 via web
@yagian: 続き:明治維新後、国家体制が急速に近代化され、封建秩序が自然的秩序ではないことが現実によって明らかとなり、文明開化の思潮によって、封建的秩序が主体的作為の立場から批判された。しかし、自然的秩序思想は全く姿を消したのではなく、自由民権運動の反対者のなかに見られるようになった。
2010-06-24 05:06:47 via web
@yagian: 続き:さらに、外国の脅威が高まると、外国の脅威に対する国内的一致の要請によって、水戸学などの自然的秩序思想が復活し、尊王論と攘夷論が結合した。しかし、幕末になると、封建的身分制を超えて国民の精神的一致の必要性が認識され、吉田松陰などにより尊王攘夷論は一君万民的なものに転化した。
2010-06-24 05:02:18 via web
@yagian: 続き:この時期になると、主に蘭学の影響を受けた学者、本多利明、佐藤信淵、海保青陵などにより、人為的な改革による経済振興策が主張されるようになった。しかし、彼らの主張は、あくまでも封建的支配関係の内部にとどまっていた。
2010-06-24 04:58:20 via web
@yagian: 「日本政治思想史研究」第二章第六節「幕末における展開と停滞」要約:天明・寛政期に入ると、幕藩体制は内部的な崩壊と外国からの脅威にさらされ、支配層はその隠蔽と弥縫に腐心し、もはや人為的な改革を指向する徂徠学が許容されず、寛政異学の禁において、自然的秩序を指向する朱子学が再興された。
2010-06-24 04:54:06 via web