ひとりじゃない

最近、日本語でウェブログを何を書くべきか迷っている、ということをよく書いている。逆に言えば、英語でウェブログを書くことには迷いがなく、楽しいということと裏腹でもある。英語でウェブログを書くことの楽しみについて具体的に書いてみようと思う。
311の福島での原子力発電所での事故は、おおげさに言えば、明治維新以来の日本の近代化の帰結が太平洋戦争での敗北であったように、日本国憲法が制定された戦後日本の「民主制」の帰結だと思っている。そんなこともあって、「民主制」とはなんだろうか、と基本に立ち返って考えている。
このウェブログでも、日本の政治の歴史や民主制についていろいろと考えている。最近では、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」を読みながら感じたことを書いた。
日本語でのウェブログとは内容は違っているけれど、英語版ウェブログLang-8に「アメリカのデモクラシー」の感想を書いた。
”Alexis de Tocqueville’s "De La Democratie en Amerique (Democracy in America)"
ウェブログhttp://goo.gl/Dj5pF
Lang-8http://goo.gl/Ocd0j
ウェブログにコメントがつくこともよくあるし、Lang-8で議論が盛り上がることもある。今回は、Lang-8でかなり長く、熱い議論が盛り上がった。
英語版ウェブログの内容をごく簡単にまとめると、トクヴィルフランス革命、それに対する反動の渦中にいたフランス人として、アメリカのデモクラシーを客観的に観察する立場にあり、それゆえ、「アメリカ」の民主制や「民主制」そのものを明快に示すことができた、ということを書いた。
その中で、次の一文がアメリカ人にとって引っかかったらしい。

"American people believe in the principles of their own democracy," (アメリカ人は彼ら自身のデモクラシーの原則を信じている)

Lang-8での議論のなかで、トニーさん(いつも非常に論理的に訂正をしてくれるし、また、訂正の理由の説明も非常にロジカルで、知性あふれるコメントをしてくれる)が、アメリカ人一般がデモクラシーの原則を信じている訳ではないし、イラクアフガニスタンでの戦争、貧富の差の拡大や少数の有力者による支配、政府のプロパガンダに批判的なアメリカ人だっている、というコメントをつけてくれた。
実は、上記の文は、次のように続いている。

"even if the actual government isn't perfect." (現実の政府が不完全なものであったとしても。)

当然、アメリカのデモクラシーの原則は、現実の政府、社会において実現されている訳ではない。"American people believe in the principles of their own democracy," と書いたとき、アメリカ人が現実の政府、社会を肯定しているということを意味したのではなく、現実は不完全であっても、さらに言えば不完全であるからこそ、民主主義の原則を信じているということを表現したいと思っていた。
いつもはきわめてロジカルなトニーさんだけれども、「民主主義の原則を信じている」ということと「現実の政府を無批判に受け入れる」ということの違いをなかなか理解してもらえなかった。
トニーさんとのやりとりの中で、

"a large number of Americans don't believe in the government or the principles of "American" democracy itself?"(大多数のアメリカ人は政府を信じていないのか、「アメリカの」民主制の原則それ自身を信じていないのか)

という質問をしたけれど、質問の主旨、私の問題意識そのものをうまく理解してもらうことができなかった。
フーコー風に言えば「エピステーメー」ということになるのだろうけれど、ある社会、文化が成立するには、その前提となる思考の枠組みがあり、その社会、文化のなかにいるとその思考の枠組「エピステーメー」を認識することはきわめて難しい。
トクヴィルも指摘しているが、「アメリカ」の民主制の原則は、かなり特殊なものだと思う。しかし、アメリカ人自身にとっては、「アメリカ」の民主制の原則はあまりにも自明なものであって、それが特殊なものであることに気がつかないし、さらに言えば、そのような特殊な原則を信じているということ自体に気がつかない。トクヴィルや私のように外部からは「エピステーメー」を観察することができるけれど、内部からそれを見ることはできない。
自分のことを客観視でき、かつ、極めて知的なトニーさんですら、というか、そのようなアメリカ人であるトニーさんであればこそ、盲点のように深く「アメリカ」の民主制の原則が染み込んでいるということがわかり、興味深かった。
また、トニーさんからこのようなコメントがあった。少々長いけれど、省略することが難しいからそのまま引用したい。

Isn't the same thing happening in Japan at the moment, as a result of the natural disaster and the resulting nuclear accidents? It appears to me that many people who never even thought of questioning the decisions of politicians and corporations before are asking how the decisions were made which contributed to the severity of the nuclear accidents. Would you describe that as questioning the principles on which Japanese democracy is based? Certainly it involves questioning how Japanese democracy actually functions in practice.

つまり、311の福島の事故によって日本の政治、民主制について疑問が生まれていないか、という指摘である。
私自身、311以降ずっとこのことを考えてきたし、ウェブログにも書いてきた。しかし、ウェブログにはあまり反応がないし、また、日本国内の政治家、評論家の書いていることを読んでも、日本の政治、民主制についての深い考察は見かけないし、そもそも自分と問題意識を共有している人もほとんどいない。
トニーさんが囚われているアメリカの「エピステーメー」について書いたけれど、当然、日本人や私自身も別の形の「エピステーメー」に囚われている。客観的に日本を見ることができるトニーさんが、私と同じような問題意識を持っているということを知って、うれしかった。
このコメントに対して、次のように返答した。

I think that Japanese democracy doesn't function and Japanese people and politicians don't have the principles of democracy, and I'm deeply disappointed about it.

すると、いつもコメントを書いてくれるフランス人で左翼の252さんが次のように書いてくれた。

It is a great pleasure to read that many people over the world also think that our political systems have to change and that it's worth fighting for increased democratization.

日本の中だけで考えていると自分が孤立して孤独なような気持ちになってしまうけれど、もっと広い世界に目を向ければ決してそうではないことが分かる。
ほんとうは日本語のウェブログでもこんなコミュニケーションができればいいのだけれども。

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