2011年を振り返る
大晦日なので、月並みだけれども、今年一年を振り返ってみようと思う。社会、仕事、趣味の三つのテーマで書いてみようと思う。
- 社会
私にとって、今年の「社会」の領域では、やはり3.11とそれに続く福島第二原子力発電所の事故がいちばんインパクトが大きかった。
以前から、日本の近代化についてずっと関心を持ち続けている。去年は江戸時代における近代思想受容の基礎となった思想について本を拾い読みしていた。今年は、日本における民主主義が主なテーマとなった。
原子力発電については、それぞれの人がそれぞれの立場、関心でいろいろと考えていると思う。ある人は自分の健康への影響、ある人は日本の国内で「難民」が生じるという事態の意味について、ある人は日本のエネルギー政策のあり方について、ある人は原子力発電の安全性の技術的側面について、ある人は「原子力村」と呼ばれる集団について考えた。
私は、なぜ、日本でいまあるような形の原子力政策が選択され、原子力発電所の設置、核燃料サイクルの開発が進められたのか、その政治的なメカニズムに関心を持った。そして、福島第一原子力発電所の事故は、やむを得ない選択の結果だったのか、最良の選択をしうる政治制度はありうるのか、ということを考えた。
いろいろ考えているうちに、どんどん根源までさかのぼり、そもそも民主主義、民主制とはなんなのか、また、日本において民主主義、民主制が成立していると言えるのだろうか、ということを考えるようになった。
民主制といっても、大きく二つの潮流があるようだ。一つは大陸ヨーロッパ、特にフランスに代表される民主制、もうひとつはアングロサクソン系、イギリス流の民主制である。そして、やや特異な民主主義の実験国家としてアメリカ合衆国がある。
近代国家において民主主義が成立したとき、古代ギリシャのポリスの民主制がイメージされていた。しかし、ポリスの民主制は、小規模なコミュニティで、女性と奴隷は除いた一部の市民による直接民主制だった。当然、近代国家というポリスに比べはるかに大規模なコミュニティでは直接民主制は成立しない。
小規模でかつ均質的な市民によるポリスの民主制では社会的合意を得ることは可能だった。しかし、近代国家の民主制で社会的合意は可能なのだろうか。
大陸ヨーロッパでは、人間の理性によって社会的合意が可能であると考える。ルソーは特殊意志と一般意志という概念を提示している。特殊意志は個々人の個別的な利害に基づく意志、一般意志は国全体を代表した意志のことである。理性ある人間が合議すれば一般意志に到達しうるというのが大陸ヨーロッパ的な考え方である。
一方、アングロサクソン系の民主制では、理性のある人間による計画や設計ではなく、慣習や伝統を通じて形成される社会的合意を重視する。ある優れた個人の理性よりは、無名の人間の集合的な思考を通じて作り上げられる慣習や伝統を信頼する。
アメリカ合衆国は、そのような政治的な伝統のあるイギリス人がアメリカ大陸に渡り、大陸ヨーロッパの思想的な影響を受けて、世界ではじめての国民国家として建国されたきわめて特殊な国である。
エリートによる意志に基づき国民国家を超える政治制度を構築しようとするEUは大陸ヨーロッパ的な発想で、ドイツとフランスが中心になっていることはよく理解できる。一方、経験主義的なイギリスがEUに一定の距離を置いているのは当然だと思う。
アメリカ合衆国は、個別の植民地が集合してできあがった国だから、きわめて地方分権的である。というより、基本的にコミュニティに権利があり、共同したほうが都合のよいところだけ権限を移譲することで国が形成された。コミュニティが主体で、州、連邦は限定された権限を持っているという意味で、中央から地方に権限が分散されたという訳ではない。コミュニティにおいては、直接民主制に近い政治が行われているから、民主制としてはきわめて強固な基盤を持っている。
さて日本の場合はどうだろうか。形式的には、明治憲法が制定されたときに議会制民主主義が導入され、戦後、連合国(特にアメリカ)のイニシアティブで民主化が進んだ。しかし、制度は整備されているものの、現実的に民主制は機能しているだろうか。ここでは、詳細の議論は省くけれど(以下の記事を参照)、民主制を現実的に機能させるためのことが深く考えられたこともないし、実際に機能もしていなかった。そして今回の福島第一原子力発電所の事故とそれへの対応は、日本の民主制が機能していないことの一つの帰結ということが私の暫定的な結論である。
- 「De la Democratie en Japon(日本のデモクラシー)」 (id:yagian:20110828:1314498545)
- 「De la Democratie en Japon(日本のデモクラシー)(2) 地方分権とティーパーティー運動」(id:yagian:20110830:1314650522)
- 「De la Democratie en Japon(日本のデモクラシー)(3) 上滑りの民主化」(id:yagian:20110902:1314928079)
- 「De la Democratie en Japon(日本のデモクラシー)(4) 民主制の実現と定着」(id:yagian:20110904:1315114242)
- 「民主主義の学校」(id:yagian:20110731:1312065724)
- 「個人の自立と民主主義」(id:yagian:20110714:1310594619)
- 「日本は民主主義国家なのか」(id:yagian:20110628:1309230821)
- 仕事
まずは、ここ数年、うつ病とそれからの回復期で、会社にまともに通うことができれば上出来という状態だったけれど、今年は久しぶりにまともに働いた。
仕事の上では、はじめてラインマネージャーになったこと、また、その組織がPMOだったことがいちばん大きなできごとだった。
もともとプロジェクトリーダーとしての経験は多かったけれど、必ずしも体系的にプロジェクトマネジメントの教育を受けていたわけではなく、断片的な知識と試行錯誤で乗り切ってきた(まさに、ただ単に乗り切ってきただけ)だった。
PMOへ異動となり、PMPを取得して、一応、プロジェクトマネジメントの教科書的な方法は学習した。そして、自分の会社がやっているプロジェクトをマネジメントする上で、PMBOKの思想を理解することは有益だだが、手法がそのまま適用できないこともよくわかった。その上で、どのような手法を標準化すべきか、もしくは、標準化すべきではないか悩んでいたところに、10月に自分がその部署のラインマネージャーになった。
プロジェクトマネジメントのことを考えつつ、ラインマネージャーとして自分の担当する組織のマネジメントの改革を実践することになった。組織のマネジメントとプロジェクトのマネジメントの違いを感じつつ、組織のマネジメントの難しさとおもしろさも感じることができた。
プロジェクトマネジメントの観点からは、PMBOK的なやや硬直した手法の適用が難しい自分の会社のプロジェクトに、アジャイル的な方法の適用はできないかと考えている。本来の使用方法ではないけれど、Redmineを使ったシステムを導入して、PMOとして大型プロジェクトのモニタリングをしている。今後、私の部署内の業務の管理にRedmineを試行的に導入して、アジャイル的なプロジェクトマネジメントの適用可能性を検討してみたいと思っている。
また、組織のマネジメントとしては、人の成長に関われるということの面白さを実感している。プロジェクトマネジメントでも、毎回まったく新しいメンバーとプロジェクトをするわけではないから、メンバーの成長も考えるけれど、プロジェクトマネージャーとしてはそれが本業ではなく、あくまでもプロジェクトの成功の副業としてやっているという位置づけだった。
しかし、組織をマネジメントする上では、自分も含めてメンバーの成長が最も重要な課題となる。プロジェクトではある程度プロジェクトメンバーのより好みをすることができたけれど、組織のマネジメントではメンバーは所与である。組織のパフォーマンスを上げるためには、メンバーを成長させるしかない。
成長するには、いろいろな意味で自分を変えなければならない。自分を変えることはリスクを伴うし、そもそも、面倒くさい。好んで自分を変えようとする人は少ない。だから、人の成長を促そうとするには、まずは自分が進んで変化して、変化すること、成長することの面白さ、楽しさを見せることが大切だと思う。いったん成長することの楽しさを覚えてしまえば、そこから先は楽になると思う。さすがに3か月しか経っていないから、道半ばだけれども、来年はどこまで進めるか楽しみにしている。
- 趣味
趣味の面では、語学とゴルフが楽しかった。
去年の年末からlang8(http://goo.gl/vrhhs)と英語のウェブログ(http://goo.gl/J3DhM)を始めた。その二つを通じて知り合いのネットワークが広がり、それまで放置していたFacebookも本格的に始めることにした。
ほんとうに月並みな感想だけれども、世界は広いと思った。それまでの自分の世界がいかに狭く、世界は多様性に富んでいることに驚いた。またその一方で、世界の思わぬところに自分と共感し合うことができる人たちがいるということも発見できたのが喜びだった。
この日本語のウェブログも、それなりに定期的な読者がいるけれど、アクセス数も天井を打ち、あまり成長しているという感覚がなかった。それに比べ、英語のウェブログは、コメントも多く(しかも、日本語のウェブログへのコメントに比べればはるかに充実している)、今ではこのウェブログの2倍程度のアクセス数になった。自分も英語でのコミュニケーションが苦にならなくなってきているという実感があって、成長の喜びがあった。
Facebookは、Mixiと違って、世界につながっていることを実感できるところがいい。日本語だけでFacebookやTwitterをしているのは実にもったいと思っている。
つい先ごろ、中国語のウェブログ(http://goo.gl/US3az)を始めた。大学時代、第二外国語で中国語を取っていたから、多少の土地勘はあるけれど、ゼロからの再出発という感じである。また、英語とは違った世界が広がっていそうで、来年の展開が楽しみである。
しかし、三か国語で書くようになると、このウェブログも含めインターネット上での日本語での活動は少なくなってしまうだろう。実を言うと、最近では日本語で書くことへのモティベーションは下がっていて、このウェブログも更新の頻度は下がってしまうかもしれない。
ゴルフは、スクールに通いだして2年少々が経ち、ようやくコースに出るのが楽しくなった。今年の目標は110を切ることだったけれど、これは達成できた。来年は100を切れるようになりたいと思う。