素朴な善意と正義感

仕事をする上で、ということであるが、素朴な善意や正義感をあからさまに表明する人にはなるべく近寄らないようにしている。経験的に、仕事がうまく進まず、あまり愉快ではない結果に陥ることが多いように思う。
私は、ジョージ・W・ブッシュと今回イラクで誘拐された人たちは、この分類に入っているように感じる。メンタリティがよく似ているように思う。そして、仕事がうまく進んでおらず、あまり愉快ではない結果に陥っている。
今回のイラク戦争の開戦について、もちろん複雑な政治的思惑はあったのだろうけれど、ジョージ・W・ブッシュ個人としては、素朴に正しい選択であり、正しい行動と信じているように見える。もちろん、彼はアメリカにとって「正しい」ということではなく、普遍的に「正しい」、すなわち、イラクの人々にとっても「正しい」ことだと信じていたのだろう。
ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』(日経新聞社)(amazon:4532164370])は、9.11からアフガニスタンの戦争に至るホワイトハウス内での意志決定のあり方が生々しく描かれていて、非常に興味深い。一読の価値がある。(ボブ・ウッドワードの最新作、"Plan of Attack" Simon & Schuster([amazon:074325547Xを早く翻訳してほしい)この本を読んでいると、ブッシュ大統領は、正しさを確信していること、そして、アメリカ国民の感情を把握していることを信じて疑っていないことがわかる。
具体的な政策や作戦は、部下である閣僚、官僚、軍人を使って立案させ、実行させる。ただし、基本的な価値観、大きな方向性に関する意志決定は、 ジョージ・W・ブッシュにゆだねられているように見える。決して、「ネオコン」の言いなりになっているわけではない。思想的には「ネオコン」ほどに洗練されているわけではなく、かなり素朴に見える。また、ジョージ・W・ブッシュは、その素朴さに誇りと自信を持っているように見える。
私は、イラク戦争については、単純に否定はできないけれど、とにかく困難なことに手を出したものだと思っている。実務的には、経済制裁と査察によって、サダム・フセインを、「生かさぬよう、殺さぬよう」という状態を維持することが、リスクが小さかっただろう。しかし、それは、ジョージ・W・ブッシュの流儀ではない。9.11をきっかけとしてイラク問題に積極的に関わることに決めたら、リスクがあろうとも、困難があろうとも、彼が考える「正しい」行動を実行に移すことになる。
その結果、サダム・フセインの政権は倒れ、イラクの人々も、そのこと自体は評価しているようだから、ジョージ・W・ブッシュクリントンを比較して、クリントンの政策の方がよかったとは言えない。しかし、サダム・フセインの政権を倒した後、新しい政権を作り上げるまでのプロセスは、うまく行っていない。
もちろん、イラク戦争は、素朴な正義感のためだけれはなく、イラクの石油利権やアラブ地域への影響力の強化といったアメリカにとっての利益を考慮していたことは間違いない。しかし、アメリカの、そして、ブッシュ政権としての利害だけを冷静に考慮すれば、もう少し時間をかけて準備をしていたのではないか。それを開戦まで強引に突き進んだ背景には、ジョージ・W・ブッシュの「素朴な善意」を無視できないと思う。
行動の結果より行動の動機を重視するという意味では、ジョージ・W・ブッシュと、今回イラクで誘拐された人たちは共通している。困難であろうとも、どのような結果になろうとも、自分が信じる正しい行動をすることに重点を置く。
そういう素朴な善意や正義感が重要で必要なことも理解しているけれど、視野の狭さが気になるのである。
ジョージ・W・ブッシュは、アメリカ軍がイラクの人々に歓迎されるに違いないと確信していたし、今でも、ある意味、確信しているのだと思う。なぜならば、サダム・フセインというアメリカ、イラクの人々にとっての共通の敵を倒した、と考えているからだ。しかし、当然のことながら、実際には、イラクの人々がアメリカ軍を単純に歓迎することはない。彼の素朴の正義感が、そういったことを見えなくさせているのではないか。
パウエル国務長官が、今回イラクで誘拐された人たちを誇りに思うべきだと発言していた。ジョージ・W・ブッシュに同じことを質問したならば、あんがい、パウエル国務長官と同じことを答えるのではないか、という気もするのである。