すぐに仕事に精がでるようになるわけではないのだが

先週の後半、2泊3日で「リーダーシップ研修」というものに参加した。
だいたい、会社が参加を義務づける研修は気が乗らないものだし、その上、2泊3日も拘束されるとあれば、すっかりネガティブな気持ちになる。それが、意外なことに、いや、ネガティブな気持ちになっていたのは自分の勝手な思いこみなのだから、意外ではないのかもしれないけれど、非常に役に立った。
研修の内容はシンプルなものである。事前に、自分の上司、同僚、部下と、自分自身で、私の会社での行動に関するアンケートを取ってある。研修では、その結果に基づき、「リーダーシップ」を高めるために、どのように改善すべきか、グループワークで検討するのである。
まず最初に、各人がアンケートの結果に基づいた感想を述べ、問題の所在を話し合う。この時、研修を進行する講師のコメントによって、表面的な思いこみに疑問が投げかけられる。
その後、いったん、各自が内省する時間がある。思いこみがゆさぶられたところで、再度、考え直してみる。最後に、内省の結果を、再びグループワークで話し合い、今後どうすべきか、ということについてそれなりの結論にたどり着く。
私の場合、同僚とのコミュニケーションがうまく取れないこと、仕事に対して情熱が湧かなくなっていること、が問題だった。コミュニケーションがうまく取れないのは性格のためだと思っており、また、仕事への情熱が薄れたのは、仕事に飽きてきたためだと思っていた。
しかし、このように考えてしまうと、結局、原因は性格に行き着いてしまうので、解決策がない。出口がない袋小路に入ってしまったようなものである。グループワークをしていると、形は違うけれども、みな、このような袋小路を抱えていることがわかる。そして、自分一人の力では、この袋小路から脱出することはなかなかできない。
私はどのようにしてこの袋小路から抜け出したのか。きっかけは、講師がいった次のような言葉である。「情熱がわかないから仕事へのやる気がわかないのではなく、情熱がわくような仕事に挑戦していないから情熱が湧かないのではないか」
確かに、考えてみると、クールに仕事をこなすのが自分のスタイルと思っていたが、内心、仕事の成果は世の中に役に立っているとは思えないことに、むなしい気持ちがあった。「クールに仕事をこなす」という考えは、自分自身で信じられる仕事をしていないことのいいわけにすぎないということに気がついた。だから仕事に対して情熱が湧かなくなっていた。
そして、同僚や部下とコミュニケーションがうまくできなかったのではなかった。自分が信じていない仕事については、後ろめたい思いがあるから、その内容について人とあまり話し合いたくなかったのだ。仕事を進める上で、最低限のコミュニケーションはするけれど、それ以上は話し合いたくないという気持ちがあった。つまり、コミュニケーションがうまくできなかったのではなく、そもそも、コミュニケーションを避けていたのだった。
ここしばらく、仕事については気分が重かった時期が続いていたが、このことに気がついて、ずいぶん気持ちが楽になった。もう少し、自分の気持ちに正直に仕事をしようという気持ちになってきた。
といっても、すぐに仕事に精がでるようになるわけではないのだが。